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草木ものいふ気色(ケシキ)・・・

ススキススキ マムシグサの色付いた果実を、「景色としての草木」として画像にしてみようと、遊んで
マムシグサマムシグサみたけれど出来映えはどうか・・・チョット情緒に流れてしまったようで、今ひとつキレ不足は否めず、ススキと切り離し、マムシグサだけを並べた方が即物的なアジは出たのではないか・・・と、迷うコトしきり。。。

『草木ものいふ気色(ケシキ)』
これはアニマティックな気色です。 アニミズムは自然の中に神を見るのですが、 アニミマティズムは自然のなかに霊的な存在を見ますが、神を見ているのではありません。日本書紀には「草木ことごとく能(よ)く言語(ものいふ)ことあり」とか「巖根(いわね=岩の固まり)、木の株(もと)、草の葉も、なほ能(よ)く言語(ものいふ)」という記述があります。我われも自然のなかに一人で取り残されたような時には感じるのではないでしょうか。たとえば京都の青蓮院には大きな楠がありますが、その下にゆきますと、昼でも物の怪のようなものを感じることがあります。うす暗くなったり風が吹いてきますと、かなりドキッとします。 瀬や淵もそういった物の怪の気色であった。
 我われも自然のなかに一人で取り残されたような時には感じるのではないでしょうか。 たとえば京都の青蓮院には大きな楠がありますが、その下にゆきますと、昼でも物の怪のようなものを感じることがあります。うす暗くなったり風が吹いてきますと、かなりドキッとします。瀬や淵もそういった物の怪の気色であった。関連して井上ひさしが山形県に住んでいた自分の若い頃を思い出して書いた、宮沢賢治と擬声語についての文章があります。

 「わたしたちは日課のように裏山に出かけて行き、枝を渡る風の音や、草のそよぐ音や、滝の音を頭のどこかで聞きながら遊んでいた。

 しかし、それまでわたしたちは、風が「どう」という音で吹き、草が風にそよぐときは「ざわざわ」で、くりの実は「ぱらぱら」と落ち、きのこが「どつてこどつてこ」と生え並び、どんぐりのびっしりとなっているさまを音にすれば、それは塩がはぜるときの「パチパチ」と共通だ、とは知らなかった」(井上ひさし『忘れられない本』「どんぐりと山猫」)。

 このように宮沢賢治は擬声語を使って子供が自然をどのように見ているかを描いています。 私はこれは宮沢賢治が「草木ものいふ気色」を擬声語で表現したものではないかと思います。たとえば「風の又三郎」は「どっどど どどうど どどう」と物語が始まるのですが、 「草木ものいふ気色」をよく捉えていると思います。

 皆さんもこういう視点で宮沢賢治の童話を読み直してみてはいかがでしょうか。

◆草木ものいふ気色・日本景色史・序007
=日本景色史・序003=より抜粋、転載




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時々、照れ隠しに『淫蕩火』を名乗るエロ老人。



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