

秋しぐれの止み間に歩いた溜め池の辺り、「萩の花、尾花、葛花、撫子の花、女郎花、藤袴」、それに、すでに咲き終わったと思っていた「朝貌(キキョウを指す)の花」・・・秋の七草の一つが、まだ咲いていた。「桔梗あれども、花咲かず」という伝説に彩られた平将門は菅原道真、崇徳上皇と共に日本三大怨霊とされ、国司=今で言えば、キャリアの官僚=のあくなき搾取に苦しむ民衆のいじらしい願望が、将門が怨霊となって国司等を懲らしめることを願ったのだろう。将門は帝位を称した『大悪人』であったから、その後、明治政府によって信仰を禁じられるまで、民衆にとっては権力に抵抗した英雄だったのだ。将門公には不思議な逸話が幾つも伝わっている。有名なのは、愛妾だった“桔梗姫”の裏切りの話ではなかろうか。将門公が源氏の兵に捕らえられた時、(将門公には影武者が6人居て、影武者達も共に捕らえられたが、立ち振る舞いも姿も本物の将門公に瓜ふたつだった)為、なかなか処刑に踏み切る事が出来なかったのだが、将門をめぐる女性の中で、溺愛(できあい)と思われるほどの情けを受けたのが“桔梗姫(桔梗の前)”なのだった。逞しい抱擁の中で、顳(こめかみ)がピクピクと動く、クセのある彼の愛撫には陶酔も長くは続かなかったようで、信じていたこの女性が、コーフンするとピクつく顳(こめかみ)をバラし、将門を裏切ってしまったのだ。“桔梗の前”は合戦の折、秀郷の者に助け出されたが、自分のとった行為を恥じ、出家して尼僧となり、将門の霊を慰めるために巡礼の旅に出たともいわれている。また、別の説では、将門を神・仏とも崇めていた人たちにとって、“桔梗の前”を許すわけにはいかず、「将門さまの秘密を敵に教え、その首をとらせるとは!」と激怒し、“桔梗の前”の首を刎(はね)たという。いずれにせよ、その深い恨みは、可憐に咲く桔梗の花(キキョウ科の多年生植物、秋の七草の一つ)に向けられたのだった。将門と深いかかわりのある大国玉(将門の正妻の出生地)を始め、将門の活躍した地域では、青紫色の桔梗の花は決して咲くことはなく、咲かずの桔梗・・・「桔梗あれども、花咲かず」という伝説が残っている。いずれにせよ、あくまで説話であり、事実かどうかは推測の域を出ないのだが、処刑される間際、将門公は処刑場の傍に聳える城峯山を睨み、 「この山に 桔梗あれども 花咲くな」と詠んだ、とも言われていて、それ故か、今でも城峯山には桔梗が咲かないのだという。また、この説話に因み、現代でも将門公を神と奉ずる人々は桔梗の花を忌む習わしがあるのだ・・・とか。
↓オモロナイ
!写真がイマイチ
!・・
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