



珍々先生は芸者上りのお妾の夕化粧をば、つまり生きて物いう浮世絵と見て楽しんでいるのである。明治の女子教育と関係なき賤業婦の淫靡(いんび)なる生活によって、爛熟した過去の文明の遠いささやきを聞こうとしているのである。この僅かなる慰安が珍々先生をして、洋服を着ないでもすむ半日を、唯うつうつとこの妾宅に送らせる理由である。已に「妾宅」というこの文字(もんじ)が、もう何となく廃滅の気味を帯びさせる上に、もしこれを雑誌などに出したなら、定めし文芸即(すなわち)悪徳と思込んでいる老人たちが例の物議を起す事であろうと思うと、なお更に先生は嬉しくて堪(たまら)ないのである。
何たる物哀れな美しい姿であろう。夕化粧の襟足際立(きわだ)つ手拭の冠(かぶ)り方、襟付の小袖(こそで)、肩から滑り落ちそうなお召(めし)の半纏(はんてん)、お召の前掛、しどけなく引掛(ひっかけ)に結んだ昼夜帯(ちゅうやおび)、凡て現代の道徳家をしては覚えず眉を顰(ひそめ)しめ、警察官をしては坐(そぞろ)に嫌疑の眼(まなこ)を鋭くさせるような国貞振(くにさだぶり)の年増盛(としまざかり)が、まめまめしく台所に働いている姿は勝手口の破れた水障子、引窓の綱、七輪(しちりん)、水瓶(みずがめ)、竈(かまど)、その傍(そば)の煤(すす)けた柱に貼(はっ)た荒神様(こうじんさま)のお札(ふだ)なぞ、一体に汚らしく乱雑に見える周囲の道具立(どうぐだて)と相俟(あいまっ)て、草双紙(くさぞうし)に見るような何という果敢(はか)ない佗住居(わびずまい)の情調、また哥沢(うたざわ)の節廻しに唄い古されたような、何という三絃的情調を示すのであろう。
永井荷風 妾宅=(青空文庫 Aozora Bunko)=より抜粋

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