

葛の花、よく知られている「葛」。葛粉や葛根でお馴染みではあるけれど、季節が巡ってくれば、何処にでも見ることができる花・・・いまの季節、至る所の野山、里山には葛の花が咲き乱れている。赤紫色の葛の花・・・観ているようで、よく観ていない・・・というより観ていなかったというのが、私にとっての「葛の花」なのだった。埃っぽい蔓や葉の陰で、萎れかっている花といった印象だけが強く残っている。「葛の花」が甘い匂いを発散しているなど、匂いを嗅いだこともないので・・・甘い匂いに引き寄せられた虫たちが蜜を吸っている・・・ など想ってみたこともなかった。けれど、今回は咲き始めたばかりの「葛の花」を間近で観る機会に恵まれ、生気漲る花やその色に、なにやら毒々しいほどの彩を見せつけられ、エロティックな妄想に耽ってしまうエロボケ老人、真夏日の朝なのだった。今、まさに“花盛り”という「葛の花」をじっくり眺めてみたら、花は花穂のつけ根から次々と咲き初め、淡紅色から濃い紅になり、さらに紫へと変化してゆくのだけれど、その色は鮮明というにはやや暗く、その姿は美しいというより妖しい…上へ上へと開花していき、それに連れて、先に咲いた下の花が萎れていくようなのだ・・・これが「葛の花」を見るときは、いつも埃っぽい葉陰で萎れかかっているというイメージの元になっているのかもしれない。花が咲き初めた「葛の花穂」を観ていると、ゆらぎの中で、ときどき明るくなるローソクの炎を連想してしまう・・・「葛の花」を詠んだ歌はないものかと検索していたら・・・「“葛の花”を詠んだ有名な歌」・・・があった。
葛の花 踏みしだかれて 色あたらし。 この山道をゆきし人あり
・・・釋迢空(しゃくちょうくう) 大阪生まれの国文学者、
折口信夫は、歌人の釋迢空としても一流の人であったらしい。「折口信夫」という名前は知っていたけれど、「葛の花」を詠んだのが折口信夫で、氏の歌がこれほど“有名な歌”だったとは、いまの今まで知らなかった。無知ということは気楽なのだ・・・この歌は「踏みしだかれて」に尽きると想っている。「踏み潰されて」では存在し得ず、「踏みしだかれ」ていなければ・・・ならないのだ。そして「色あたらし。」・・・短歌に句読点「。」が使われているのも初めてみる・・・思わず山下清の句読点のない文章を連想してしまったけれど、エロスの哀しみを匂い立たせるような、妖しい歌ではないかと想っている・・・
↓オモロナイ
!写真がイマイチ
!・・
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