

8月も終盤、駆け込みで「放浪の天才画家 山下 清展」を観に出かけた。テレビや映画でお馴染みになっているので、名前はよく知っていて

も、その作品については、代表作「長岡の花火」や「桜島」などの貼絵が記憶に残っている程度で、詳しいことはあまり知らない・・・貼絵のほか、晩年のペン画や水彩画、皿に絵付けを施した陶器など、それに施設を飛び出し放浪を繰り返す度に書くことを義務づけられていた“放浪記ノート”なども展示され、作品の素晴らしさもさることながら“山下清という人”への興味は尽きることなく、ボクトツで素朴な、その言動の数々、「素」の圧倒的なパワーにうちのめされることもしばしば・・・山下清の文章には句読点がない。そのわけは
“人と話をするときは点やマルとはいわないんだな”とは本人の弁。


施設を抜け出しては放浪を繰り返し、繰り返す度に記憶をもとにノートに記し、テレビドラマや映画などでは、旅先で絵を描く姿が紹介されているけれど、実際には数カ月から数年の旅から帰った後、記憶に刻んだイメージを基に創作していたといわれている。右の画像は繰り返す放浪のアト施設の学園長宛に書いた句読点ナシの反省文・・・始末書?も、お見事と言うほか無い。また、海で溺れかけたときの文章には、よくある、悟りきった風の詩人や僧たちの、解った風な当たり前過ぎる語録や説法には及びもつかぬ圧倒的な「素のパワー」を感じてしまう。
◆手足の動きが鈍いので急に海の中へ潜りかかった 水に溺れたら命はないと思って夢中になって手足を動かして 泳ごうとしてもだんだんと海の中へ潜ってしまうだけでした この時生まれて初めて一番怖い思いをした もう助からないな もう命はないな 死にたくはないと思っていても だんだん海の中へ潜ってしまうので 自分の思うようにはいかない 助からなければどうしても死んでしまうので 死んでからの先の世の中のことは分からないので 死んでから良いことが来るか 悪いことが来るか死んで生き返ってみなければ分からない
◆俺が旅行するクセは急に治らないので だんだんとクセが治ってから 同じ場所でいつまでも長く絵を描こうと思う クセが治るまで1年くらい旅行するとクセが治ると思う
◆「わしも山下清に毛がはえたような男です」と近所の人に話していた 僕はびっくりして「僕に毛がはえたらというのは どういうわけですか どこに毛がはえるとあなたになるのですか」と聞いたらみんながドット笑った
◆「サインをしてもらったものは何処へどうしまっておくのか それを時々持ち出してながめて面白がっているのか聞いてみようと思ったこともあるが面倒なのでそのままにしておきました」
まだこの他に裸で千円札を持っていたら警察に連れて行かれ警察官に虐められた話なども会場には書かれていたけれどカタログ図版には省かれていた。映画「裸の大将」など知名度が上がるにつれ洗練されていったのか?映画の中の自分とのギャップも感じていたようでデフォルメされた姿を快くは思っていなかったようである。


ヨーロッパ旅行の際にも山下清はこんなコトを言っている・・・
「墓の絵はなんべんも描いたな 横浜では外人墓地を描いたし フランスでもゴッホの墓を描いたな ゴッホの墓のそばにもっといい墓がたくさんあったのに周りの人がどうしてもゴッホの墓がいいって言うから 暑いのをがまんして描いたな みんな墓におまいりにいくけど 死んだ人にわかるかな 死んだことのない人が死んだ人のことがわかるかな ぼくは墓のあるところがしいんとしてるとこが好きなんだ」“放浪する天才画家の作品”は、今や、完全に独り歩きを始めたようで「素」でしか生きられなかった天才画家「山下清」に・・・缶チュ~ゥハイッ!!
↓オモロナイ
!写真がイマイチ
!・・
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