

(植物生態研究室(波田研))
この植物は、ここ数年、時期が来れば必ず観ているし、見逃すほどの希少種でもない。何処ででも見ることが出来る雑草なのだ。雑草だからといって写真に撮らなかった年もないけれど、撮影したあと名前が思い出せない・・・どうしても思い出せないのも毎年のことなのだ・・・その代わりに「ハナチダケサシ」という名が必ず出てくる・・・いつも、必ず出てくる。こんなややこしい名前が必ずでてくるのだけれど、この名も「チゴザサ」を撮影したときにしか出てこない。そして「ハナチダケサシ」を調べてみれば、似ても似つかぬような植物が現れるのもいつものことなのだ。この妙な「記憶の構造」というか、自身の記憶システムに少し疑問を持ち始めている今日この頃、単に“老人ボケ”が進行しつつあるだけのことかも知れないけれど、「チゴザサ」を撮影し「ハナチダケサシ」を想い出したら、必ず思い出すもうひとつの記憶・・・「記憶のモニュメント」があればすべてがスムーズに流れるのではなかろうか・・・と。「チゴザサ」は「夜這いツル」とも呼ばれているらしいことを知り、なぜ「夜這い」なのかは知らないけれど「記憶のモニュメント」にはなりそうな「夜這い」の話に拘ってみたら、コレが面白い・・・。


「夜這いの民俗学・夜這いの性愛論」の著者、赤松啓介は、アノ、超メジャー民俗学者・柳田国夫の出身地、播州・福崎町の隣り町、現在の加西市出身ということだけでも興味をそそられるけれど、昔の、庶民生活に於ける性意識や生活感覚が、柳田国男にはない視点から赤裸々に語られていることになにやら意味を感じてしまう。また、サイト障害老人乱読日記・藤川景氏にも並々ならぬパワーを感じて止まず、ブックマークさせて貰った。・・・アレッ、この「赤松啓介」という名前は以前にもどこかで見て、どこかに何かを書いたような記憶がある・・・「チゴザサ」を記憶するための“モニュメント”として「夜這い」を持ち出したのはよかったとしても「??撮影」→「ハナチダケサシ」→「夜這いの民俗学」→「チゴザサ」・・・どうも、うまく巡りそうな気配もないし保証もない。
『夜這いの民俗学・夜這いの性愛論』
(赤松啓介、ちくま学芸文庫)
まあたまげるよこの本は。大正時代まで日本人はこんなセックスをしていたのか、夜這いといえばもっとコソコソしたものだと思っていたが、みんなのどかでおおらかなセックスを楽しんでいたのだなあとビックリする。もうなんでもありだもの。本書は赤松自身の体験を中心に書かれているから農民の性ばかりで中流・上流階級の性に触れていないところが物足りないといえば物足りないが、江戸時代は人口のほとんどが農民で武士階級は1割以下だったというから、本書に書かれたことが世の常態だったと考えてさしつかえないだろう。
【子供時代の性意識】
1909年(明治42年)兵庫県加西村生まれ。大正はじめのムラの小学生の下着は、男の子はパッチ、女の子は腰巻きで、ともにしゃがむと○○○○や○○○○が見えてしまう。《学校の運動場で女の子がしゃがんでイシナンコやっていると、校長先生が中腰でのぞき込み、ソラ、見えとるぞ、見えとるぞとからかう。女の子が怒って校長先生の助平とたたきに行った。》いまなら即刻教育委員会に通報されて校長はクビになるところだ。
当時と現在とでは何がちがうのだろう。たたきにいったところを見ると当時も○○○コが見えるのは恥ずかしいことだという意識はあるようだ。しかし見えたところで黙って・・・・・
●体験をもとに書く赤松(障害老人乱読日記:a024)

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