

二度目の若狭行き・・・三方五湖で“コイ狂い”のオヤジ達と別れ、やって来た“常神半


島”は景観が素晴らしい! この半島には周回できる道路がないので神子(みこ)から常神集


落のソテツのある辺りまで行けばそれより先へは行けない。鋭く切れ落ちる岩壁に囲まれた入り江はどこも静かで美しいけれど、東北の大津波を連想してしまう。この日から数日後にやって来た台風の影響が気になり、調べてみたらこんな記事があった・・・
住民移動のため、船の運航開始 若狭町、2集落土砂崩れで孤立(2011年6月3日午前6時57分)(
福井のニュース :福井新聞)・・・やはり想像した通り、激しい雨に道路は寸断され、“神宿る半島”・・・私が勝手にそう思い込んでいる・・・の集落は孤立してしまう。常神半島の“常神”は常神・神子の間に鎮座する常神社によると言われている。


この半島へ辿り着くまでには、数多くの変わった地名に出くわす・・・西の大飯町から若桜町までの間にも


虫鹿野(むしがの)、依居神社(えごじんじゃ)、赤礁崎(あかぐりさき)、烏辺島(うべし


ま)、父子(ちちし)、犬見(いぬみ)、犬熊(いのくま)、雲浜(うんぴん)、釣姫(つるべ)、谷及(たんぎょ)、堅海(かつみ)、常神(つねかみ)、遊子(ゆうし)、塩坂越(しゃくし)、食見(しきみ)、苧(お)、悪無(さかなし)、神谷(こうだに)、神子(みこ)、御神島(おんがみじま)、姥懐(うばがふところ)、弥美(みみ)、恋の松原(こいのまつばら)・・・目に止まったところを、ざっと拾い集めてもこれだけあるけれど、どれを取り上げてみても、貧弱な想像力をクスグらずにはおかない。
「釣姫(つるべ)」は数ある道路標示の中でも記憶に残っている・・・「釣姫」は「つるべ」と読むことを、ローマ字表記を読んで初めて知りビックリ。その位置関係は地図を広げてみなければ見当もつかないけれど、曰くには・・・その昔、外国船が漂着し、乗っていたご婦人が退屈な日々の慰みに釣りを楽しんでいたけれど、亡くなったので村人たちが哀れに想い“釣姫明神”としてお祀りした・・・との記述もあり、貧弱な想像力も満足させてくれる。歴史と伝説の息づく里を連想させる難読地名の数々もそ


れなりに楽しめる。常神半島の最奥というか、先端にある集落「常神(つねかみ)」は県道が


開通したのが昭和44年で、それまでは、文字通り陸の孤島で“秘境”であったらしい。美しい自然、深い入り江と集落の背後にある山が北風を遮り、雪も殆ど積もらないという。北方にありながら恵まれた環境が、天然の港をつくり出し、古くから人が住みついたと思われる痕跡も数多くあるらしい。集落内の井戸掘り工事で弥生式石斧が出土したり、氏神の常神神社境内の拡張工事でも弥生式土器が出土し、大昔から人が住み始めていた証だと言われている。心地よい浜風に吹かれながら微睡マドロんでいたら、散歩する二人連れのお嬢さんがやって来たので暫し立ち話、二人ともココで生まれ育ったと言い、もう80才になってしまったと明るく笑う。向こうに見える山を尋ねたら「あれはオオヤマで手前に浮かぶ小さな島は千島・・・アノ島はああ見えてもオオヤマとココのちょうど真ん中辺りにあるんよ・・・」と教えてくれた。後日調べたら、どうも常神の人たちは“久須夜ヶ岳”のことを“オオヤマ”と呼んでいるらしい・・・どうして原発のあるところには、いずこも美しい自然が残っているのか・・・原発事故は“人災”だという声が日を追うほどに高くなっている今日この頃、みなさんご機嫌如何ですか?・・・浜風に吹かれて・・・カフェ・オレッ!!
↓オモロナイ
!写真がイマイチ
!・・
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