
三草山で締めた山歩は、
三草山から・・・今年も三草山から始めようと縄師・Kさん、地元の好々爺Nさん、西区のTさん夫婦、ピュア・Cさんと初歩きを約束、地域の正月行事のため参加できなくなったNさん・・・ワザワザ集合場所まで伝えに出向いてくれた義理堅さに一同感激・・・を除く5名で・・・縄師・K氏渾身の再生古道・・・“みくさ古道”に続き、貫通したばかりの新・再生ルート
“7つの炭焼き窯跡と山桜コース”を初歩き・・・縄師・K氏から頂戴した地形図
←最上段が在来の三草コース、二段目が
再生“みくさ古道”、三段目が新・再生ルート
“7つの炭焼き窯跡と山桜コース”、山頂から延びる
最下段が在来の“鹿野コース”のショートカットコースまでが表記されている。新ルート中の
●7ヶ所が数百年前?に造られた
“炭焼き窯跡”なのだけれど、今回の初歩きで、更に
+α個の窯跡を発見・・・戦国の古へ、ロマンのタネは尽きることがない・・・


谷底をなぞるように歩くこのコースは想像以上に楽しめるコースなのだった。いつも、山頂から遠目に眺めていた山桜を下から愛でることになり、春が待ち遠しいルートでもあり、ホッと、心和ませてくれる木陰のせせらぎは、夏の里山歩きのオアシスになることは間違いなし。


老々男女の好奇心を刺激し、いつ果てるともなく膨らみ続ける想像力には、心かき立てられユメ弾む・・・西区のTさんが窯の辺りを探せば数百年前の炭がキットあるはず・・・と辺りをほじくっていたらあった!石炭のようになった真っ黒の“炭の欠片”が・・・辺りを探し、更に数個を拾い集め持ち帰り、
木炭の歴史と文化(
炭の歴史)などを少しかじり始めたら奥は深い。「平安時代以降は税金の換わりに木炭で年貢を納める納炭もあり日本各地から中央に集められた・・・」といったような記述もあり、ウバメガシのことをゼニコメと呼ぶのは
“銭米”に変わるモノということではないのか・・・と書いたことがあるけれど、全く外れた想像ではなく当たっていたようなのだ。


江戸時代になれば、木炭は大部分が暖房用として使われるようになったらしい。江戸時代の炭焼き職人の地位は低く、最下層であったという。関西では元禄時代に備中屋長左衛門がウバメガシ(馬目樫)を使った、白炭窯を完成させ、その名前が備長炭と言う名で現在も生き続けている。今回の再生ルートを歩いたことで三草山への興味は深くなるばかりで山歩きの楽しみは尽きることがない。


素晴らしいルートを再生してくれた山友・縄師・K氏をはじめ、同行の皆さん、好々爺Nさんに乾杯!・・・そうそう、“みくさ古道”を下っていたはずが、いつの間にやら新ルート初登り中の我がグループに追いつき、「下っていたつもりがいつの間にか登っている・・・アタシの人生は迷いっぱなしヨ・・・」とノタマウ珍おじさん、迷いがあればこそのめぐり逢いにホロリ感謝・・・この日は正月の初山歩に相応しい飛び入りの珍客があったことも忘れることはないだろう。小野から来たという“迷いオジサン”にもカンパイ!!楽しかった・・・。
みくさの山はまだまだ深い→
◆三草山城(
山城賛歌)
↓オモロナイ
!写真がイマイチ
!・・
click!
- 関連記事
-