

錆色が少しずつ少なくなっていく初冬の森・・・枯葉を落とし春を待つ。
「枯れる」というコトバには、とかくマイナスイメージが付きまといがちではある。
“枯渇”とか“枯死”などがその代表的なものではないかと思うけれど、自然界に於ける「枯れるという現象」を直視するならば、その見え方も少し違ってくる・・・それは、生殖によって繋いだ新しい生命イノチのスタートでもあるのだった。繁殖活動を終えて、なお生き続ける生物は、人間を除いて他にないらしい。言い換えれば
“更年期”を迎えて生き続けるのは人間だけなのだ・・・この時間が「老後」という人間だけが手に入れた高齢化社会の“特権?”なのだろう。この“退屈な時間”が
“終の栖(ツイノスミカ)”とか
“死に至る病”・・・死は生物の宿命であり、生と死は、この世に生まれ落ちたときから隣り合わせである・・・等々、どちらかと言えば“暗く長い、悩ましい時間”になりがちなのだけれど、「枯れる」ということは、それぞれの道、その味わいを知り、心の成長に連れ、やがて辿り着く
「冷えて」「痩せた」境地・・・これこそ「枯れる」ではないのかと想う、錆色の森の今日この頃なのだった。
↓オモロナイ
!写真がイマイチ
!・・
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