

西欧伝説「片思いのマツムシソウ」
(近藤米吉編著「植物と神話」(雪華社)より引用)
”真夏でも白雪を戴くというアルプスの麓の清流で、ある娘が清冽な流れに入って、山から採ってきた薬草を洗っていた。娘は名をフィチャといって、山から薬草を採ってきて、病人たちに飲ませ病気を治すのが生業(なりわい)であった。ある年その地方に疫病が流行った時などはフィチャのお陰で、猛威を振るったさすがの疫病もまたたく中に治り、そのほかフィチャの薬草で、命拾いした人も多く、彼女はこの地方では、神さまのように敬われていた。
フィチャはそんな女だが、恋にはやはり弱かった。今日もフィチャが清流で草を洗っていると、そこへある若い旅人が這うようにして辿りついた。フィチャはさっそく旅人を家に連れ帰って、三日三晩というもの、夜もろくろく寝ないで介抱した。お陰で四日目から高熱も下がり、数日後には、もとの元気な体となった。若い旅人は命の恩人ともいうべき、フィチャの足元に伏して、涙ながらに厚く礼を述べると、故郷さして帰っていった。だがこの時、旅の若い男は、自分がこの恩人に、死にも勝る苦しい思いを彼女の胸深く残していったとは夢想だにしなかった。
なぜならば、フィチャとて年ごろの若い娘であった。若くて美しい男に、日夜付き添って看病している中、その男によって点(と)もされた恋の炎(ほむら)は、日増にはげしく燃え盛って、彼が去った後は、煉獄の苦しみにさいなまれていた。
やがて夏が去り、秋がきた。ある日フィチャは、病人を訪ねてある村を過ぎた。そこで彼女は、思わぬ悲しい事実を知った。自分が日夜慕い続けてきた男は、長い間相思相愛だった娘と、すでに結婚しているという噂であった。それまでフィチャは、いつかは恋しい男に巡り合って、その胸にとりすがり、苦しい胸のうちを訴えられる日もあろうかとの微かな望みもあったのだが、それさえ今は儚い夢と消え去った。フィチャに長い悲しみと悩みの日が続いたが、やがて暮れ行く秋と共に、ひとり淋しく死んでいった。それをみた神々は彼女を憐んで、その魂を彼女に応わしい花、マツムシソウに宿らせたという。”
松虫草(まつむしそう)(花物語 in てぃんくの家)
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