

(のこのこ このこ)
道の辺の尾花が下の思ひ草今さらになぞものか思はむ「しのび恋」
作詞 悠木圭子・作曲 鈴木淳
唄 八代亜紀
逢いに行きたい 逢うのが辛い
誰も許さぬ この恋故に
二度と触れ合うこともない
あなたが愛した この指も
雨に震えて 泣いている
珍しい花、ナンバンギセルの花も出るところにはウルサイほど出ているけれど、わざわざ探すとなれば「オイそれ・・・」ともいかず、かといってネットなどみてみればアチコチにかなり出回っているようで、今やさほど珍しい花でもないようだ・・・今回撮影した場所には、毎年、シーズンになれば気味が悪いほど出現するので撮影には出かけるけれど、ここ数年は、お座なりになっている。「「煙管(キセル)」と言えば、若い頃、船に乗っていた煙草好きの祖父を思い出す。丘に上がってからは、専ら煙管を愛用し、日常の手入れもさることながら、竹の部分を器用に創っていた。二、三度吹かすと煙草盆にコンコンと灰を落とし、また、キザミ煙草の葉を煙管に詰める・・・確か、こんなコトをやっていたように記憶している・・・よき時代の話か。「ナンバンギセル」には憑きもの?の、万葉の歌・・・「思ひ草」を現代に置いてみればこんなことになるのでは・・・と、八代亜紀の「しのび恋」を並べてみたけれど、この「悪趣味」はインテリ諸氏のヒンシュクを買うのは間違いなさそうだ。ヒンシュクついでに言えば、「不正乗車」定番?手口として「煙管キセル」はよく知られているけれど、まだ、他に「薩摩守サツマノカミ」があるとは知らなかった・・・因みに無賃乗車のことは「薩摩守(さつまのかみ)」ともいうらしい。平家物語に登場する「平忠度(たいらの・ただのり)」に由来するものだという・・・まだ、こんな物語もある・・・
・・・・・ 悪趣味な午後になってしまったようで。「貧乏神物語」
田中貢太郎
微曇のした蒸し暑い日で、青あおと続いた稲田の稲の葉がぴりりとも動かなかった。草加(そうか)の宿が近くなったところで用人は己(じぶん)の傍を歩いている旅憎に気がついた。それは用人が歩き歩き火打石を打って火を出し、それで煙草を点けて一吸い吸いながらちょと己(じぶん)の右側を見た時であった。
旅憎は溷鼠染(どぶねずみぞめ)と云っている栲(たえ)の古いどろどろしたような単衣(ひとえもの)を着て、頭(かしら)に白菅の笠を被り、首に頭陀袋をかけていた。年の比(ころ)は四十過ぎであろう、痩せて頤(おとがい)の尖った顔は蒼黒く、眼は落ち窪んで青く光っていた。
この見すぼらしい姿を一眼見た用人は、気の毒と思うよりも寧ろ鬼魅(きみ)が悪かった。と、旅僧の方では用人が煙草の火を点けたのを見ると、急いで頭陀袋の中へ手をやって、中から煙管と煙草を執り出し、それを煙管に詰めて用人の傍へ擦り寄って来た。
「どうか火を貸しておくれ」
用人は旅僧に傍へ寄られると臭いような気がするので、呼吸(いき)をしないようにして黙って煙管の雁首を出すと旅憎は舌を鳴らして吸いつけ、
「や、これはどうも」
と、ちょっと頭をさげて二足三足歩いてから用人に話しかけた。
「貴君(あなた)は、これから何方(どちら)へ往きなさる」
「下総の方へ、ね」
「ああ、下総」
「貴僧(あなた)は何方へ」
「私(わし)は越谷(こしがや)へ往こうと思ってな」
「何処からお出でになりました」
「私(わし)かね、私は番町の――の邸から来たものだ」
用人は驚いて眼を※(みは)った。旅僧の来たと云う邸は己の仕えている邸ではないか、用人はこの売僧奴(まいすめ)、その邸から来た者が眼の前にいるに好くもそんな出まかせが云えたものだ、しかし待てよ、此奴はなにかためにするところがあって、主家の名を騙(かた)っているかも判らない、一つぎゅうと云う眼に逢わして置かないと、どんなことをして主家へ迷惑をかけるかも判らないと心で嘲笑って、その顔をじろりと見た。
(貧乏神物語)
キセル(あははっ 語楽 キセル)
不正乗車のことを「キセル」というのはなぜ!?
(鉄道トリビア・なるほど納得へぇ~の世界)
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