ななへやへ はなはさけどもやまぶきの
みのひとつだになきぞかなしき
【七重八重 花は咲けども山吹の
実の(蓑)一つだに無きぞ悲しき】

ヤマブキといえば必ず登場する「ななへやへ・・・」で始まるヤマブキ伝説、あの伝説をこの歳まで信じて疑わずに来たけれど、ヤマブキに果実は本当にできないのだろうか・・・また、ヒマに任せてGoogleってみたら、やはりいろいろあるようで・・・一重咲きのものには実ができるが、八重咲きのものにはできないのだという。 八重咲きの花は雄しべの変異(花弁のようになる)により、花粉ができないため、実もできないのだという。理屈上は野性でも八重咲きのヤマブキは存在し得るとも言えるが、種はつけない・・・ということで、挿し木や取り木でもしなければ一代限りということになるというのだ・・・とすると、あの有名な“太田道灌の山吹伝説”に登場する少女が黙って差し出したヤマブキは、少女の親か祖父母か、はたまた近所の世話焼きオヤジかオバハンが挿し木か取り木など手間ヒマかけた挙げ句の産物であったということになり、全くの嘘ではないけれど「ほんまに、ホンマかいなァ・・・?」と疑り、想いを巡らせ、楽しむ余地は残してくれたらしい・・・。
●道灌の山吹伝説
太田道灌は扇谷上杉家の家宰でした。ある日の事、道灌は鷹狩りにでかけて俄雨にあってしまい、みすぼらしい家にかけこみました。道灌が「急な雨にあってしまった。蓑を貸してもらえぬか。」と声をかけると、思いもよらず年端もいかぬ少女が出てきたのです。そしてその少女が黙ってさしだしたのは、蓑ではなく山吹の花一輪でした。花の意味がわからぬ道灌は「花が欲しいのではない。」と怒り、雨の中を帰って行ったのです。
その夜、道灌がこのことを語ると、近臣の一人が進み出て、「後拾遺集に醍醐天皇の皇子・中務卿兼明親王が詠まれたものに【七重八重花は咲けども山吹の(実)みのひとつだになきぞかなしき】という歌があります。その娘は蓑ひとつなき貧しさを山吹に例えたのではないでしょうか。」といいました。
驚いた道灌は己の不明を恥じ、この日を境にして歌道に精進するようになったといいます。
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