
植物生態研究室(波田研)
春まだ早い里山にポツリと咲く紅い花・・・ヤブツバキの紅い花は冬色の景色に生命(イノチ)を吹き込む“紅い血(アクセント)”なのだった・・・ポツリ、ポツリと咲いているのがいい。どこの山を歩いていてもよく観る馴染みの花ではあるけれど、いざ、一枚モノにしようと撮りにかかると、コチラの想うように収まってくれる花は意外に少ない。花弁が欠けていたり、揃っていたら、だらしなく開き過ぎていたり、これぞ注文通りと想うモノはやたら高いところで調子を保たせていたり・・・“オビに短しタスケに脚立・・・”と、シャレにもならん状況に追い込まれることも多い。エロボケ老人が想い描く“紅い花”とは、どんなモノなのか・・・想いを巡らせているうちに行き当たったのはコレ・・・「侘び助」ではないのか!?・・・もし、そうでなければ“紅い花の壁”・・・咲き乱れる紅い花や、ポトリポトリ・・・落ち続ける紅い花の絨毯など“侘び”とは対極にある“幻想世界”なのかも知れないと。ヤブツバキを調べてみて“椿事”の深さを思い知った。花のない時期に花を咲かせるということも深さの一因であるのかも知れないけれど、茶人千利休が侘び茶道に好んで取り入れたことにより「侘助ツバキ」のバリエーションを広める切っ掛けになったようだ・・・「侘び助」の種類の多さにはビックリ。また、文学作品に登場する「椿事」には優れたモノがあるコトは想像できたので、エロボケ老人好みの「椿事描写」を少しだけ抜粋転載させてもらった。
●田宮寅彦が「枝から落ちた椿が、・・・市枝の見つめている岩場の上を舞い、小さな赤い点となって、遠い波の上に落ちていった」・・・『赤い椿の花』
●波の音高い海辺の宿は、すでに男ではなくなった老人たちのための逸楽の館であった。真紅のビロードのカーテンをめぐらせた一室に、前後不覚に眠らされた裸形の若い女――その傍らで一夜を過す老人の眼は、みずみずしい娘の肉体を透して、訪れつつある死の相を凝視している。熟れすぎた果実の腐臭に似た芳香を放つデカダンス文学の名作・川端康成の『眠れる美女』で六十七歳の江口老人が薬眠させた若い女を抱きながら思う京都地蔵院の五色八重椿
「侘び助」について
園芸品種の"椿"の一つで、茶人千利休さんの好んだ花として有名。
一重咲きで開花しても「筒咲き」と呼ばれる半開花状態なのが特徴。
サザンカは花びらが一枚づつパラパラと散るが、侘び助は椿と同じく花全体がポトリと散る。
名前の由来については、千利休に仕えて、この花を育てた庭男の名前が「侘助」といい、
彼にちなんでつけられたという伝説がある。
早咲きの一重で、筒咲きの小輪。多くは雄しべの葯が白く退化したツバキの一群をいう。
侘助には、約30種類の品種があるそうで、タロウカジャ(太郎冠者)=(有楽椿)の実生もしくはそれから作られた品種で葯が退化をし花粉を作らないものとされる
「侘助」 は 冬の季語

侘助ツバキの話庄崎英登1.茶の湯の侘びと侘助ツバキ
東山時代から織豊時代にかけて、茶道が確立し、それと共に侘び茶道が生まれています。千利休の頃には、ほぼ完成の域に達していたと、云っていいでしょう。侘びとは広辞苑によれば、その中の一つの意に、閑寂な風趣。茶道、俳諧などでいう「さび」とでています。
閑寂な風趣を引きたてる花入れや花の一つに、侘助ツバキの存在がありました。現代でもそうですが、花の少なくなる晩秋から早春に掛けての茶の湯にとって、椿は主役です。閑寂な風趣ですから、大輪で満開の花は似合いません。
畢竟、一重小輪、薄色椿が、ことに好まれました。
それらを茶人は侘助とよびました。
侘びの心をもって花は軽く生けるのがよい。それが侘び茶の美であり、侘び茶の真髄にかなうものだそうです。
侘助の語源については、秀吉公朝鮮出兵のおり、侘助という人が朝鮮から持ち帰ったという話や、利休の「侘び数寄」が侘助に転訛したという説等があります。私は抽象名詞の侘びを椿に与えて擬人化し、侘助にしたものだろう、などと考えています。
語源の由来はともかく、茶の湯の侘びと侘助ツバキの深い仲の一端は、こんなところでしょう。 (侘助ツバキの話 庄崎英登)
「侘び助」の定義には諸説あり、読むほどに疲れるばかり・・・それらしくまとめられたものがコレ↓