
メメント・モリな映画を観た・・・笑うと涙が流れる・・・といっても、笑い過ぎて涙がこぼれる、アレではない・・・不思議な気分にさせられた。ストーリーが、とてつもなくドラマティックで感動的だというワケでもない。ただ、この映画は、当然のコトとして“死者の姿”と“納棺”のシーンが頻繁に登場する。そこで色んな人たちの“死者の納棺”が展開されていくのだけれど、親族の見守る中で執り行われる「納棺の儀」は死体を拭き上げ、アナという穴すべてに綿を詰め、化粧を施し、着物を着せ替え、硬くなりつつある関節をホグしながら胸の上で組み、数珠を掛ける、これら一連の作業が、流れるような所作で「プロの技」として展開されて行く・・・茶道のお手前のように。無論、この間、納棺師は無言でコトを運ぶ・・・家や家族によって多少の違いはあるにせよ、こんなシーンを繰り返し観ているだけで、苦笑いしながらも涙を滲ませてしまうのは人間の「生と死」・・・多くを語らずとも、誰にも身に覚えがあり、身に詰まされるせいなのだろう・・・。
仕事を終えたアトで、山崎努、扮する納棺師とその弟子が、骨付きの鶏肉やふぐの白子を喰いながら呟く台詞・・・「美味いんだよなァ・・・困ったことに・・・」が、なんとも象徴的で小気味よかった。私が若い頃は、まだ、縁者が集まり腰にワラ縄を絞め、冷や酒を呷ってから“湯棺”という「納棺の儀」を執り行っていた記憶がある。「湯棺」というのは、死者の体を拭き清め、全身のアナに綿を詰め、死化粧を施して、納棺するまでの一連の作業を指し、棺には死者の生前愛好した品を一緒に入れ、女には化粧を施し男は髭を剃り、顔には生気が漂うとまではいかないけれど、ヨソ行きの感じにはなったような・・・記憶がある



「メメント・モリ・・・死を想え!」
ザッとこんな調子なのだ↓
死人と女には花が似合います。
死体の灰には階級制度がない。
アノ人骨を見たとき、
病院では死にたくないと思った。
なぜなら、
死は病ではないのですから。
ありがたや、ありがたや、
一皮残さず、骨の髄まで、
よくぞ喰ろうてくりゃんした。
花を真似た花は、花より愛しい。
赤子を真似た赤子は、赤子より愛しい。
ニンゲンは自然をよく真似る、女はとくにそうだ。
海の方の女は気性の荒い一面がある。
それは海のせいだ。
山の方の女はえてして優しい、それは植物のせいである。
自然を真似た女は畏い、そしてやさしい。
自然を真似なくなった女は、
狂う。
(memento mori ~死を想え~|藤原新也)
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