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Aladdin's cock

日かげ いつか月かげとなり 木のかげ・・・山頭火       

あのムラには、コガネの花が咲くという・・・美しい国

 春の嵐も、すでに通り過ぎ、あちらでも、コチラでもハナが咲いた・・・と、大騒ぎです。太陽だけじゃもったいない・・・と、ヨルは夜桜ハナ照明、昼も夜も大騒ぎです・・・・・

            
       ♪ Night and Day ♪ ムラの春。美しい国、ニッポン!


Nenes 黄金の花



         

       『みなさんに 保証しましょう
              事故は コントロールされております』

             = 美しい国・・・ニッポン =


ドイツZDF フクシマの嘘 (連結済み)29分23秒  mov


フクシマの嘘 其の弐(隠ぺい・詭弁・脅迫) 翻訳全文





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春しぐれ はな寒々と 二輪草・・・ 

ニリンソウニリンソウ いわゆるスプリング・エフェメラル(春の妖精)と呼ばれる植物群のひとつ・・・深い切れ込みがある葉
ニリンソウニリンソウを3枚つけ、その中心から花茎を2本立てて径約2cmの花(ガク片で花弁はない)を2輪つける。二つ目の花が少し遅れて咲き始めるのがいい・・・時々小雨が落ちてくる 曇り空に、頑張って開花している花はさすがに少なく、やや萎んだ姿にも捨てがたいアジがある。




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早春の花、キバナノアマナ・・・

キバナノアマナキバナノアマナ きょうは晴れ、気温も上がり春の陽気になる・・という予報に、丹波の山里へキバナノアマナとニリ
キバナノアマナキバナノアマナンソウを観に出かけたけれど、丹波地域へ入るにつれて雲は重く垂れ込み、目的地に着いた頃には小粒の雨まで降り始めた。当て外れの空模様に、いち早く開花状況確認に駆け付けてみれば完全な開花とは言い難い三分咲き、モーロク爺好みの開き加減・・・悪条件下の撮影に1脚をつけ、風に震えるキバナノアマナを何とか取り終えた頃には小雨模様になっていた。開きかけとはいえ・・・もう少し開いていてもよかった・・・黄色い花を撮ることが出来たのは幸運であった・・・。


◆キバナノアマナ=(Y.HADA'S Home Page)=




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春黄金花と呼ばれて・・・

サンシュユサンシュユ サンシュユ(山茱萸)という花・・・桜が咲く前に咲き、桜や梅と同じように葉が出る前に花をつける。
サンシュユサンシュユ世間では、別名「春黄金花」(ハルコガネバナ)、「秋珊瑚」(アキサンゴ)とも呼ばれていて、「春は花、秋の果実・・・」が素晴らしい!と言うことらしいけれど、コレって、ほとんどの植物にいえることではないのか・・・と、想ってしまうヘソ曲がり爺の春なのです。サンシュユという名前は、中国名の「山茱萸」を音読みしたもので、山茱萸の"茱萸"をグミといい、このグミを利用して山茱萸酒を造ったりもするらしい・・・などとは、いろんなwebsiteでよく目にするが、別名の「春黄金花」はともかく、まだ、お目に掛かったことがないアキサンゴ(秋珊瑚)・・・と呼ばれる秋の果実を観てみたいものだと想っている・・・まだ、サンシュユの果実を観たことがないモーロク爺、春の昼下がり・・・。



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早春の花、セリバオウレン・・・

セリバオウレンセリバオウレン 「セリバオウレン」も早春に花を咲かせるので、この花も春の妖精、スプリング・エフェメラルかと想
セリバオウレンセリバオウレンっていたら、セリバオウレンの葉は、枯れることなく年間を通してつけているのでスプリング・エフェメラル(春植物)ではないのだ。また、この花には雄花が多く、次に多いのが両性花。今回撮った花もほとんどが雄花で、あとは両性花が少し観られた。1本の茎に雄花と両性花をつける株があるかと想えば、両性花をつける株、雌花をつける株、それに雄花をつける株があり、複雑でややこしい。今回、観た場所では雄株が多く、次いで両性花をつけたモノが多くあったように思う。雌花を探してみたが観ることができなかった・・・次の機会には雌花を探してみようと思っている。



◆セリバオウレン 両性花・雄花・雌花=(花*花・flora)=





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早春の花・・・甘菜

amanaamana ユリ科アマナ(甘菜)春早く他の草に先だって花をつけ、結実し、他の草が大きくなり、木々の
amanaamana葉が茂る初夏には地上から姿を消してしまう。種子から芽生えて何年かは一枚の葉しか出さず、花もつけず、地下の球根に充分な栄養が蓄えられると2枚の葉を出し花をつける。この花も、いわゆるスプリング・エフェメラル(春の妖精)の一種。定かではないが、この場所でこの花を撮るのは、三度目になるはず・・・休耕田のあぜみちで長閑な陽を浴びながら“春うらら”な時を過ごした思い出の場所でもあるけれど、現在は、アマナのあぜ道が完全に埋まってしまったのではないかと想うほど、辺りは堆く積まれた残土の山・・・足元に気遣いながら探し回っていたら、あった!限られた僅かなスペースに「これでもか?!」と力強く咲く“甘菜の花”が・・・野生の花は逞しくて美しい !!


◆アマナ ユリ科 アマナ属-春の花-=(西宮の湿生・水生植物)=




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菊咲一華・・・

キクザキイチゲキクザキイチケ この花も、いわゆるスプリング・エフェメラル(春の妖精)と呼ばれる植物群のひとつ。春の一瞬にだけ地上に現れて可憐な花をつけるので「春の妖精」と呼ばれている。学名(属名)の「Anemone」から判るように園芸栽培されるアネモネも仲間で、近畿地方以北に自生する日本固有種。 今日のキクザキイチゲまで、約1週間にエントリー記事として記してきた、いわゆる「春の妖精たち」を1日の山歩だけで全て撮影できたのは幸運だった。モーロク爺の不憫な姿を見るにみかねて待っていてくれたらしい・・・自分の都合よろしく、何処までも厚かましく独断を下していくところがモーロク爺の「耄碌」たる所以なのです・・・悪しからず。

◆キクザキイチゲ-関西の花・春の花・兵庫-=(西宮の湿生・水生植物)=




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雪割一華・・・・・早春植物

ユキワリイチゲユキワリイチゲ この花も“春呼ぶ花”=スプリング・エフェメラルとして知られている。もう、観始めて何年になる
ユキワリイチゲユキワリイチゲか・・・花期が巡ってくれば、必ずと言っていいほど観ているけれど、完全な開花状態には、ほ
ユキワリイチゲユキワリイチゲとんど巡り合うことがない。この花が咲く環境の日照時間が影響しているようで、出かける時間がいつも同じような時間になっている・・・少しでも開花した状態を撮りたい為に、熱い息を吹きかけてみたこともある・・・効果のほどは???お試しあれ。。。私の場合は、なにか語りかけてくるような3~5分咲き状態が好みではある。







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ねこやなぎの春・・・

ネオコヤナキネオコヤナキ 長い部屋籠もりに「春を探す・・・」などほど遠く、日差しが明るくなり始めた表通りをひょこひょこ歩く
ネオコヤナキネオコヤナキモーロク爺・・・遅い春がやってきたかと眺める景色は、もはや通り過ぎようとする「春」。待てよと、思いつく花の名を指折り繰ってみれば・・・おいソレ!とはいかず、「ネコヤナギはまだか!?」、と探してみたら時すでに遅し!なんとかカメラに収めた「ネコヤナギ」・・・これも「春!」なんです。







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春先に咲き、夏には消える・・・花

アズマイチゲアズマイチケ 春一番が吹くとか言っていたけれど、昨日は、結局、当地方には吹かなかった。関東と中国四国地方には吹いたらしいが、昨年よりは17日遅いという。吹けば春が来たと言い、吹かなくても春はやって来るのだ。寒い冬日が続いたから春が待ち遠しい・・・明るい陽光の下、暖かい南の風に吹かれ、咲き始めた花を愛でる春がやってきた。春先に咲き、夏には消える・・・スプリング・エフェメラル。動きづらい身体にも春風は吹き、花は待っていてくれたように美しく咲いていた。

◆アズマイチゲ=(Y.HADA'S Home Page)=
◆スプリング・エフェメラル - Wikipedia






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“春一”が吹く・・・まだ、咲いていたセツブンソウ・・・

asayakeasayake 今日あたり、春一番が吹くのではないかというのが気象庁の予報・・・もう、すでに吹いている
ものと想っていたけれど、当地方に、まだ春一は吹いていなかったらしい。“春一番”は“春の嵐”と似てはいるが少しニュアンスが違う。

     1.立春から春分までの間で
     2.日本海を低気圧が通過し
     3.初めて南寄りの強風(風速8m/s以上)を観測し
     4.気温が上昇した時

以上のように定義づけられている・・・“春一”が吹きそうだというニュースを聞いたアト撮った今朝の「朝焼け」。もう少し派手な朝焼けだったがカメラを持ち出している間にクライマックスを外したようだ。
セツブンソウセツブンソウ春一番とは何の関係もないけれど、やや時期遅れのセツブンソウがまだ咲いていた。“スプリング・エフェメラル”・・・春まだ早く観た人たちが、先を競って我こそは・・・と大騒ぎする花でもある。節分に咲くよう栽培して、有料で見せているところもあるけれど、金を払ってまで観ようとは思わない。




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やって来た、お馴染みの春・・・

ミクサトイレホトケーイヌ 春の嵐が通り過ぎたのも気づかず、映画鑑賞に明け暮れた日々。こんな生活を続けていた
オオイヌノフグリホトケノザら「病の嵐」に翻弄される日々がソコまで迫ってきているような、強迫観念に囚われ久しぶりに三草
イヌノフグリ池山麓へ出かけた。年度末が近くなり、池の改修工事も大詰めが差し迫っているようで、きれいなトイレが立ち上がっていた。それでも登山客の車が約20台あり、狭い駐車場はほぼ満車状態・・・完成間近のトイレだけ撮影して、ヒツジグサの池へ行ってみたけれど、春の日差しに水面はエメラルドグリーンに染まり美しく、土手を歩いてみたら“馴染みの春”はすでに来ていた。今さら驚くことでもなく季節がめぐれば必ずやってくるお馴染みの春なのだった。オオイヌノフグリとホトケノザ、珍しくもない花は、「今年も咲いたか・・・」という安堵感を与えてくれる地味な花ではあるけれど、お馴染みの花なのだ。





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The night porter (愛の嵐)

 いつも、いい歌やコメントを頂戴している秋の月さんから、映画「愛の嵐」を観て、いい記述No.2522.秋の月 > 映画「愛の嵐」(あしアト do_On!)を頂戴し、触発され今回の記事をエントリーしてしまった・・・退廃、耽美、倒錯、陶酔。。。死しか残されていない、ひたむきな後ろ向きの「生」・・・これぞ、ジョルジュ・バタイユの世界ではないか。

 『愛の嵐』(原題:The Night Porter(英))1973年、イタリア映画。ウィーンのホテルでポーターとして働くマクシミリアンは、戦時中はナチス親衛隊の将校で、身分を隠して暮らしていた。ある日、客として有名な指揮者が訪れる。マクシミリアンはその妻ルチアに見覚えがあった。ルチアは13年前、マクシミリアンが強制収容所で弄んだユダヤ人の少女であった・・・・。リリアーナ・カヴァーニが描く、退廃した愛の物語・・・といったところがあらすじなのだが、この映画は見どころ、勘所も多く深い。なんと言っても、その倒錯した官能性を高めているのは、ナチスの時代、裸で踊らされていたホモのバレーダンサー・バート(アメディオ・アモディオ)の存在があり、マックスに恋するバートがマックス一人のために踊るシーンがあり、ナチス時代の過去と現在の踊りが交互に映し出され、年老いたダンサーの鍛え上げた肉体が美しくも哀しい。バートの尻に注射(何の注射か分からない)を打ったあと、マックスの手を空かさず握り、(この注射は肛門性交の代替え行為でもあるらしい)必ず、「あなたのは痛くない」と愛を告白するシーンがなんとも官能的で切ない。また、もう一つの見せ場は言うまでもない、ナチスの軍服を思わせる出で立ちで 元はマレーネ・ディートリッヒが歌っていた歌、「Wenn ich mir was wunschen durfte(何が望みかと聞かれたら)」を唄う断髪したシャーロット・ランプリングが、上半身裸で踊るシーン。あの折れそうでしなやかな肢体と美少年のような鋭い眼が醸し出すエロティシズム・・・これ以上、軍服らしい軍服はないとまで言われるナチス親衛隊の面々をバックにスローなリズムを刻むシャーロット・ランブリングの歌・・・♪もし幸せ過ぎたら 悲しい昔が恋しくなってしまうから・・・♪ この映画を観ているといろんなコトを想い、気づけば、コチラがエロティシズムの世界へ没入し、本能にも訴え掛ける究極の価値観がヴィヴィッドに迫ってくるのだった。もっと、おベンキョーしなくては・・・と思い知らされることがまだまだあり、もっと記しておきたいこともあるけれど、また、次回と言うことにして、後学のため、やや長めの「ダイジェスト版」をもう一編貼り付けて置くことにした。

◆シャーロット・ランプリング(Charlotte Rampling) のプロフィール - allcinema
◆オルフェオとエウリディーチェ=(わかる!オペラ情報館 -3分で読めるオペラのあらすじ)=


Charlotte Rampling The night porter



      「Wenn Ich mir was wunshendurfte」
        『何が望みかと聞かれたら』

        
        私が愛するのは生きるため
        そうでなければ楽しむためよ
        たまに本気で愛することもあるわ
        きっといいことがありそうな気がして

        何が欲しいと聞かれれば
        分からないと答えるだけ
        いい時もあれば 悪い時もあるから

        何が欲しいと聞かれたら
        小さな幸せとでも言っておくわ
        だってもし幸せすぎたら
        悲しい昔が恋しくなってしまうから

        何が欲しいと聞かれれば
        分からないと答えるだけ
        いい時もあれば 悪い時もあるから

        何が欲しいと聞かれたら
        小さな幸せとでも言っておくわ
        だって もし幸せ過ぎたら
        悲しい昔が恋しくなってしまうから


The Night Porter - Japan
)

Liliana Cavani: El portero de noche【ダイジェスト版】






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去年マリエンバートで・・・

1960年の映画ですから、かなり古い映画ではあるけれど、 脚本がヌーヴォー・ロマンのアラン・ロブ=グリエ、監督がヌーヴェルヴァーグのアラン・レネという、筋金入りの「新しい」映画。主役の女性を演じるデルフィーヌ・セイリグの息を呑むような美しさ、彼女が着ている服は全てシャネルだそうです・・・私は映画に関する難しいことは解りませんが、美しく、いい女が登場する映画はイイ映画だと勝手に決め付けている映画好きです。マリエンバートとは実際にフランスにある地名で、コノ『新しい』映画は見る人それぞれを縛らず、解釈や感想も自由自在、お好きにどうぞと言った風で、入り口は何処!?と、探してみれば、そんなモノは在りそうで無い・・・起承転結など以ての外・・・3人の登場人物は、それぞれに曖昧な記憶をなぞり、アラン・レネ監督が手掛ける幻想的で不可思議な寓話。 豪華城館でのパーティで男女が出会う。男は去年マリエンバートで会ったというが、女にその記憶はない。しかし、男に迫られるうちに女は過去と現在の境を見失い、その記憶も曖昧なもの ...互いに混乱しているようでそうでもない。結局は豪華城館ホテルのバロック風建築や装飾、マグリットの絵に似ている庭園の雰囲気はシュールレアリズムのアートそのもの。『どうぞご自由に・・・』と言われても・・・と言いたくなってしまうほど『新しい!』ということか。


時事ドットコム:アラン・レネ監督死去=「去年マリエンバートで」-仏
『去年マリエンバートで』(1961) | 居ながらシネマ
◆アラン・ロブ=グリエのこと: 風街浪漫






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愛の嵐・・・リリアーナ・カヴァーニ

シャーロット 身体の動きが止まってからというモノ、好みというより、偏見に充ち満ちた「映画コレクション」の色が濃くなりつつ在る、我が、稚拙、且つモーロクBlog・・・果たして、この先はどこへ向けようとしているのか。。。自身も分からないのだけれど、とりあえず今回は『愛の嵐』。1973年制作のイタリア映画。女性監督 リリアーナ・カヴァーニが倒錯した愛の世界、エロスを展開する一編。ユダヤ人の美少女ルチアを演ずるシャーロット・ランプリングは、ボケ老人好みの美しい女優さんでもある。この監督は、あのルキノ・ヴィスコンティの助監督をやっていた人でもある・・・この映画を作るにあたりこんなことも記していた。

ダハウの収容所に18から21歳までいたあるユダヤ女性は、今もなお毎年のバカンスをダハウで過ごすのだと言っていました。でも、彼女はそれがなぜだか、自分にも分からないのです。また、かつてアウシュヴィッツにいた別のブルジョワ女性は、もう夫や子供のところに戻ることができず、ひとりで生きるために家を出ました。すでに収容所で極度の残酷さを知った彼女にはもう正常な家庭生活を送るにはあまりにも人間が歪んでしまっていることを自分で感じていたのです。そして彼女はこう言っていました、”犠牲者がみな純真で潔白だなんて考えないで”と彼女は私に言いました。これらドストエフスキー的な女性たちが私に不安を与え、それが『愛の嵐』の女性を描く芽となったのです。
(リリアーナ・カヴァーニ監督)


◆愛の嵐 ノーカット完全版( Movie Walker)










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フェデリコ・フェリーニ ・・・『道』

 動画サイトもYouTubeから始まり、ニコニコ動画、FC2動画と多彩になり、映画ファンには楽しみの幅が広がった。一昔前の動画と比べて画質は言うまでもなく、その内容、質ともに格段の差がある。どうしても、もういちど観たくても観る機会が少なくなってしまった映画など、検索して見付けたときの感激はコトバにならず、フル画面でも高画質で再生されたときの嬉しさはコトバがない!欲を言えば、字幕スーパー付きのものがもっと増えて欲しい・・・何分にも語学力ゼロ。戦後、日本で一番最初のイタリア映画ではなかったか・・・フェデリコ・フェリーニの『道』、字幕スーパーありの動画があった。2部に別れてはいるけれど、約半世紀前に観たモノクロ映画を彷彿とさせ感動モノであった。フェリーにの奥さんでもあるジュリエッタ・マシーナが演ずるジェルソミーナ・・・アタマの少し弱い子などと解説されているのをよく目にしたけれど、私には、そうは見えず、無垢で素直な子であり、“朱に交われば赤くなる・・・”といった類の言い回しとは対極にあるような・・・泥にまみれれば、塗れるほど煌めきを増す“真珠”・・・と言った風で、自然の輝きを保ち続ける、豊かな心の娘ではなかったか・・・まさに、ジュリエッタ・マシーナの填り役。やや荒れたモノクロ画像をフルスクリーンで観れば、また新たなリアリティーが甦る。。。





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タルコフスキーの 「NOSTALGHIA ノスタルジア」・・・

 肌を刺す風に吹かれ、触れる自然界の息吹・・・アノ爽快感は忘れ難い。。。けれど、現状では如何ともし難く、全く外へ出なくなって3週間になる。どうこう言ってみても仕方なく、持て余す時間を映画漁りに当てることにした。映画の録画といえばVHSテープ全盛の頃に録画していたモノが150本ばかりあるけれど、今となっては再生するスベも無し、時々通販の広告で見る、膨大な過去の遺物・・・レコード、カセットテープ、ビデオテープなど、すべてCDに落とせる簡単なプレイヤーが3万迄で出ているけれど、今やYouTubeで探せばそれなりの画質で映画一本を観賞できる時代に入った。目まぐるしい変化は、要らないけれど、どんな映画でも探せばあり、無料で観賞できる・・・そんな時代なら、スグにでも来て欲しい。そんなことを想いながら、今日探し出した映画は、タルコフスキーの「ノスタルジア」・・・VHSでも2~3回観たけれど字幕スーパーは有り難いが、画質はイマイチ。日毎モーロクしていくノーミソから消えかかっているので探してみたらあった。PCのフルスクリーンで観てもVHSより画像は美しい。ただ日本語字幕入りのものはなかった。イタリア語やロシア語で喋っているようなので馴染みがない。質のイイ解説サイトやBLOGを探して参考にすればカバーは可能。今、イチバン観たかった映画、タルコフスキーの「ノスタルジア」を保存も兼ねてアップ、もう2回観てしまったけれど、何分にもコトバがチンプンカンプンストーリーらしきモノなど人生論的映画評論: ノスタルジア('83)アンドレイ・タルコフスキーより一部抜粋、転載させていただきました。

◆ノスタルジア( Movie Walker)
◆ノスタルジア('83)アンドレイ・タルコフスキー
「ロウソク渡りの儀式」という戦略
=(- 人生論・状況論への招待 -)=
◆NOSTALGHIA=(A・タルコフスキー)=

Nostalgia - Filme Legendado BR

        ===============================
 字幕付きのダイジェスト版が見つかり、これでかなり解るのではないかと思う。これらの画像は[・・・]をクリック、[×]にすることで煩わしく流れるコメントを消すコトが出来ます。





        ===============================

 
故国ロシアに戻れば奴隷になる覚悟で帰国した果てに自殺した悲劇の音楽家、サスノフスキーの足跡を追う、詩人アンドレイ・ゴルチャコフのイタリアでの旅が終焉しつつあったとき、女性通訳のエウジェニアを伴って、彼女が「絵のような教会」と呼ぶ信仰スポットの「出産の聖母」を見るために、トスカーナ地方にやって来た。

教会自体に何の関心も持たないゴルチャコフと、エウジェニアの微妙な確執が冒頭から映し出された。
「あなたには理解できない。なぜ教会に入らないの?」
この問いに答えないゴルチャコフは、「何を読んでる?」と相手に尋ね、女は「アルセーニー・タルコフコフスキーの詩」と答える。

「ロシア語?」とゴルチャコフ。 「いいえ、翻訳。名訳よ」とエウジェニア。
「捨てるんだ」
「なぜ?」
「詩は翻訳ではない。芸術は全てだ・・・お互いに理解不能だな」
「どうすれば、分り合える?」
「境界を失くすことだ」

こんな「理解不能」の二人の違いが、より明瞭になるのは、この村で「変人」呼ばわりされる男との出会いを通してだった。

男の名は、ドメニコ。
彼は「人類救済」のために、家族を7年間も自宅に閉じ込めていた曰くつきの人物。
ゴルチャコフはドメニコに異常な関心を示し、早速、彼に会いに行き、彼の浮世離れした言葉を聞くに至る。

「一滴プラス一滴は二滴ではなく、大きな一滴になる」

このドメニコの言葉は、ドメニコ自身と、彼が自分の「人類救済の儀式」を依頼するロシア人ゴルチャコフの人格が統合されたイメージの中で語られている。
ドメニコは、明らかにゴルチャコフの分身なのだ。
「大きな目的を持つべきだ。エゴイストだった。家族だけを救おうと・・・皆を救わないと。世界を・・・」

これが、7年間も自宅に家族を閉じ込めていた男が、ゴルチャコフに語った言葉。

「どうやって?」
そう尋ねるゴルチャコフに答えたのは、「ロウソクに火をつけたまま、聖カテリーナのヴィニョーニ温泉宿の傍の水を渡る」ことだった。

そして映像が映し出したのは、7年後、公的権力によって家族が解放されたとき、ドメニコが幼い我が子に、「パパ、これが世界の終わり?」と言われたシーン。

少年の視界に映った世界は、豊かな森の中をハイウェイが走る、素晴らしい色彩を持つ現代社会そのものの姿だった。
以上のドメニコの、「変人」的振舞いのエピソードを見る限り、そんな男に魅かれるゴルチャコフと、件の男を「変人」呼ばわりするエウジェニアの確執の心的風景は明瞭である。

ドメニコの分身と化したゴルチャコフと女性通訳の確執は、イメージの世界で生きる男と、現世の生身の世界で生きる女との違いであり、女にとって、文明社会を否定するドメニコに同化しつつあるロシアの著名な作家のイメージは、「偽善者」でしかなかったのだ。

その「偽善者」は、女に殴打され、鼻血を流して、床に零れ落ちた鮮血の赤を処理するのみ。

ゴルチャコフに生身の「性」を求めて退けられたエウジェニアが、ゴルチャコフの元から去って、映像後半で、ドメニコの演説を伝えることで再会した際、事業家と思える男と結婚した経緯が挿入されていたが、それこそ彼女の、「ごく普通の世俗性」を検証する生き方だったことが判然とする。

そして、女に殴打された男の「観念的人生」の選択肢は限定的であった。

異国の地での、彼の心象世界が捕捉し得る対象人格は、ドメニコのみとなっていく。

今や、ドメニコの分身と化したゴルチャコフには、「ロウソク渡りの儀式」のような戦略に身を預ける非合理の世界への自己投入しか残されていないのだ。

まさに彼の自我は、異郷の地で、深刻なアイデンティティの危機に直面しているのである。


人生論的映画評論: ノスタルジア('83)アンドレイ・タルコフスキーより一部抜粋、転載させていただきました



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夢十夜・・・第一夜・・・

 身体の動きが鈍くなってから久しい・・・ネタ切れblogは連日無残な姿を晒し続けている。退屈しのぎにブラインドタッチの練習を兼ね、夏目漱石の「夢十夜(第一夜)」を打ち込んでみた。『こんな夢を見た。』で始まる・・・夏目漱石には珍しい“幻想文学”・・・YouTubeには朗読まであった。

夢十夜 (第一夜) 夏目漱石
(朗読:日高恵 松浦このみ)

 こんな夢を見た。
 腕組みをして枕元に坐っていると、仰向きに寝た女が、静かな声でもう死にますと言う。女は長い髪を枕に敷いて、輪郭の柔らかな瓜実顔をその中に横たえている。真白な頬の底に温かい血の色がほどよく差して、唇の色はむろん赤い。とうてい死にそうには見えない。しかし女は静かな声で、もう死にますとはっきり言った。自分もこれは確かに死ぬなと思ったそこで、そうかね、もう死ぬのかね、と上から覗き込むようにして聞いてみた。死にますとも、と言いながら、女はばっちりと目を開けた。大きな潤いのある目で、長い睫に包まれたなかは、ただ一面に真黒であった。その真黒な瞳の奥に、自分の姿が鮮やかに浮かんでいる。
 自分は透き通るほど深く見えるこの黒目の色沢を眺めて、これでも死ぬのかと思った。それで、ねんごろに枕の傍へ口を付けて、死ぬんじゃなかろうね、大丈夫だろうね、とまた聞き返した。すると女は黒い目を眠そうに見張ったまま、やっぱり静かな声で、でも、死ぬんですもの、仕方がないわと言った。
 じゃ、私の顔が見えるかいと一心に聞くと、見えるかいって、そら、そこに、写ってるじゃありませんかと。にこりと笑って見せた。自分は黙って、顔を枕から離した。腕組みをしながら、どうしても死ぬのかなと思った。
 しばらくして女がまたこう言った。
「死んだら、埋めてください。大きな真珠貝で穴を掘って。そうして天から落ちてくる星の破片を墓標に置いてください。そうして墓の傍に待っていてください。また逢いに来ますから」
 自分はいつ逢いに来るかねと聞いた。「日が出るでしょう。それから日が沈むでしょう。それからまた出るでしょう、そしてまた沈むでしょう。ー赤い日が東から西へ、東から西へと落ちてゆくうちに、―あなた、待っていられますか」
 自分は黙って首肯いた。女は静かな調子を一段張り上げて、
「百年待っていてください」と思い切った声で言った。
「百年、私の墓の傍に坐って待っていてください。きっと逢いに来ますから」
自分はただ待っていると答えた。すると、黒い瞳のなかにあざやかに見えた自分の姿が、ぼうっと崩れてきた。静かな水が動いて写る影を乱したように、流れ出したと思ったら、女の目がぱちりと閉じた。長い睫のあいだから涙が頬へ垂れた。―もう死んでいた。
「自分はそれから庭へ下りて、真珠貝で穴を掘った真珠貝は大きな滑らかな縁の鋭い貝であった土をすくうたびに、貝の裏に月の光が差してきらきらした。湿った土の匂いもした。穴はしばらくして掘れた。女をその中に入れた。そうして柔らかい土を、上からそっと掛けた。掛けるたびに真珠貝の裏に月の光が差した。」
 それから星の破片の落ちたのを拾ってきて、かろく土の上へ乗せた。星の短片は丸かった。長いあいだ大空を落ちている間に、角が取れて滑らかになったのだろうと思った。抱き上げて土の上へ置くうちに、自分の胸と手が少し暖かくなった。
 自分は苔の上に坐った。これから百年の間こうして待ってるんだなと考えながら、腕組みをして、丸い墓石を眺めていた。そのうちに、女のいったとおり日が東から出た。大きな赤い日であった。それがまた女の言ったとおり、やがて西へ落ちた。赤いまんまでそっと落ちていった。一つと自分は勘定した。
 しばらくするとまた韓紅の天道がのそりと上がってきた。そうして黙って沈んでしまった。二つとまた勘定した。自分はこういうふうに一つ二つと勘定していくうちに、赤い日をいくつ見たか分からない。勘定しても、勘定しても、しつくせないほど赤い日が頭の上を通り越していった。それでも百年がまだ来ない。しまいには、苔の生えた丸い石を眺めて、自分は女に騙されたのではなかろうかと思いだした。
 すると石の下から斜に自分の方へ向いて青い茎が伸びてきた。見る間に長くなってちょうど自分の胸の辺りまで来て留まった。と思うと、すらりと揺らぐ茎の頂に、こころもち首を傾けていた細長い一輪の蕾が、ふっくらと弁を開いた。真白な百合が鼻の先で骨に応えるほど匂った。そこへはるかの上から、ぽたりと露が落ちたので、草は自分の重みでふらふらと動いた。自分は首を前へ出して冷たい露の滴る、白い花びらに接吻した。自分が百合から顔を離す拍子に思わず、遠い空を見たら、暁の星がたった一つ瞬いていた。
『百年はもう来ていたんだな』とこのとき初めて気がついた。





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Tokira

Author:Tokira
写真、山歩き。
マイルス・デビスやチャーリー・ミンガスもいいけれど
浅川マキのセンチメンタルジャーニーにシビれるジャズ好き。
近頃は吉田日出子の「リンゴの木の下で」を聴いては
ホロリと黄昏れている・・・
時々、照れ隠しに『淫蕩火』を名乗るエロ老人。



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