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Aladdin's cock

日かげ いつか月かげとなり 木のかげ・・・山頭火       
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The night porter (愛の嵐)

 いつも、いい歌やコメントを頂戴している秋の月さんから、映画「愛の嵐」を観て、いい記述No.2522.秋の月 > 映画「愛の嵐」(あしアト do_On!)を頂戴し、触発され今回の記事をエントリーしてしまった・・・退廃、耽美、倒錯、陶酔。。。死しか残されていない、ひたむきな後ろ向きの「生」・・・これぞ、ジョルジュ・バタイユの世界ではないか。

 『愛の嵐』(原題:The Night Porter(英))1973年、イタリア映画。ウィーンのホテルでポーターとして働くマクシミリアンは、戦時中はナチス親衛隊の将校で、身分を隠して暮らしていた。ある日、客として有名な指揮者が訪れる。マクシミリアンはその妻ルチアに見覚えがあった。ルチアは13年前、マクシミリアンが強制収容所で弄んだユダヤ人の少女であった・・・・。リリアーナ・カヴァーニが描く、退廃した愛の物語・・・といったところがあらすじなのだが、この映画は見どころ、勘所も多く深い。なんと言っても、その倒錯した官能性を高めているのは、ナチスの時代、裸で踊らされていたホモのバレーダンサー・バート(アメディオ・アモディオ)の存在があり、マックスに恋するバートがマックス一人のために踊るシーンがあり、ナチス時代の過去と現在の踊りが交互に映し出され、年老いたダンサーの鍛え上げた肉体が美しくも哀しい。バートの尻に注射(何の注射か分からない)を打ったあと、マックスの手を空かさず握り、(この注射は肛門性交の代替え行為でもあるらしい)必ず、「あなたのは痛くない」と愛を告白するシーンがなんとも官能的で切ない。また、もう一つの見せ場は言うまでもない、ナチスの軍服を思わせる出で立ちで 元はマレーネ・ディートリッヒが歌っていた歌、「Wenn ich mir was wunschen durfte(何が望みかと聞かれたら)」を唄う断髪したシャーロット・ランプリングが、上半身裸で踊るシーン。あの折れそうでしなやかな肢体と美少年のような鋭い眼が醸し出すエロティシズム・・・これ以上、軍服らしい軍服はないとまで言われるナチス親衛隊の面々をバックにスローなリズムを刻むシャーロット・ランブリングの歌・・・♪もし幸せ過ぎたら 悲しい昔が恋しくなってしまうから・・・♪ この映画を観ているといろんなコトを想い、気づけば、コチラがエロティシズムの世界へ没入し、本能にも訴え掛ける究極の価値観がヴィヴィッドに迫ってくるのだった。もっと、おベンキョーしなくては・・・と思い知らされることがまだまだあり、もっと記しておきたいこともあるけれど、また、次回と言うことにして、後学のため、やや長めの「ダイジェスト版」をもう一編貼り付けて置くことにした。

◆シャーロット・ランプリング(Charlotte Rampling) のプロフィール - allcinema
◆オルフェオとエウリディーチェ=(わかる!オペラ情報館 -3分で読めるオペラのあらすじ)=


Charlotte Rampling The night porter



      「Wenn Ich mir was wunshendurfte」
        『何が望みかと聞かれたら』

        
        私が愛するのは生きるため
        そうでなければ楽しむためよ
        たまに本気で愛することもあるわ
        きっといいことがありそうな気がして

        何が欲しいと聞かれれば
        分からないと答えるだけ
        いい時もあれば 悪い時もあるから

        何が欲しいと聞かれたら
        小さな幸せとでも言っておくわ
        だってもし幸せすぎたら
        悲しい昔が恋しくなってしまうから

        何が欲しいと聞かれれば
        分からないと答えるだけ
        いい時もあれば 悪い時もあるから

        何が欲しいと聞かれたら
        小さな幸せとでも言っておくわ
        だって もし幸せ過ぎたら
        悲しい昔が恋しくなってしまうから


The Night Porter - Japan
)

Liliana Cavani: El portero de noche【ダイジェスト版】






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去年マリエンバートで・・・

1960年の映画ですから、かなり古い映画ではあるけれど、 脚本がヌーヴォー・ロマンのアラン・ロブ=グリエ、監督がヌーヴェルヴァーグのアラン・レネという、筋金入りの「新しい」映画。主役の女性を演じるデルフィーヌ・セイリグの息を呑むような美しさ、彼女が着ている服は全てシャネルだそうです・・・私は映画に関する難しいことは解りませんが、美しく、いい女が登場する映画はイイ映画だと勝手に決め付けている映画好きです。マリエンバートとは実際にフランスにある地名で、コノ『新しい』映画は見る人それぞれを縛らず、解釈や感想も自由自在、お好きにどうぞと言った風で、入り口は何処!?と、探してみれば、そんなモノは在りそうで無い・・・起承転結など以ての外・・・3人の登場人物は、それぞれに曖昧な記憶をなぞり、アラン・レネ監督が手掛ける幻想的で不可思議な寓話。 豪華城館でのパーティで男女が出会う。男は去年マリエンバートで会ったというが、女にその記憶はない。しかし、男に迫られるうちに女は過去と現在の境を見失い、その記憶も曖昧なもの ...互いに混乱しているようでそうでもない。結局は豪華城館ホテルのバロック風建築や装飾、マグリットの絵に似ている庭園の雰囲気はシュールレアリズムのアートそのもの。『どうぞご自由に・・・』と言われても・・・と言いたくなってしまうほど『新しい!』ということか。


時事ドットコム:アラン・レネ監督死去=「去年マリエンバートで」-仏
『去年マリエンバートで』(1961) | 居ながらシネマ
◆アラン・ロブ=グリエのこと: 風街浪漫






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愛の嵐・・・リリアーナ・カヴァーニ

シャーロット 身体の動きが止まってからというモノ、好みというより、偏見に充ち満ちた「映画コレクション」の色が濃くなりつつ在る、我が、稚拙、且つモーロクBlog・・・果たして、この先はどこへ向けようとしているのか。。。自身も分からないのだけれど、とりあえず今回は『愛の嵐』。1973年制作のイタリア映画。女性監督 リリアーナ・カヴァーニが倒錯した愛の世界、エロスを展開する一編。ユダヤ人の美少女ルチアを演ずるシャーロット・ランプリングは、ボケ老人好みの美しい女優さんでもある。この監督は、あのルキノ・ヴィスコンティの助監督をやっていた人でもある・・・この映画を作るにあたりこんなことも記していた。

ダハウの収容所に18から21歳までいたあるユダヤ女性は、今もなお毎年のバカンスをダハウで過ごすのだと言っていました。でも、彼女はそれがなぜだか、自分にも分からないのです。また、かつてアウシュヴィッツにいた別のブルジョワ女性は、もう夫や子供のところに戻ることができず、ひとりで生きるために家を出ました。すでに収容所で極度の残酷さを知った彼女にはもう正常な家庭生活を送るにはあまりにも人間が歪んでしまっていることを自分で感じていたのです。そして彼女はこう言っていました、”犠牲者がみな純真で潔白だなんて考えないで”と彼女は私に言いました。これらドストエフスキー的な女性たちが私に不安を与え、それが『愛の嵐』の女性を描く芽となったのです。
(リリアーナ・カヴァーニ監督)


◆愛の嵐 ノーカット完全版( Movie Walker)










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フェデリコ・フェリーニ ・・・『道』

 動画サイトもYouTubeから始まり、ニコニコ動画、FC2動画と多彩になり、映画ファンには楽しみの幅が広がった。一昔前の動画と比べて画質は言うまでもなく、その内容、質ともに格段の差がある。どうしても、もういちど観たくても観る機会が少なくなってしまった映画など、検索して見付けたときの感激はコトバにならず、フル画面でも高画質で再生されたときの嬉しさはコトバがない!欲を言えば、字幕スーパー付きのものがもっと増えて欲しい・・・何分にも語学力ゼロ。戦後、日本で一番最初のイタリア映画ではなかったか・・・フェデリコ・フェリーニの『道』、字幕スーパーありの動画があった。2部に別れてはいるけれど、約半世紀前に観たモノクロ映画を彷彿とさせ感動モノであった。フェリーにの奥さんでもあるジュリエッタ・マシーナが演ずるジェルソミーナ・・・アタマの少し弱い子などと解説されているのをよく目にしたけれど、私には、そうは見えず、無垢で素直な子であり、“朱に交われば赤くなる・・・”といった類の言い回しとは対極にあるような・・・泥にまみれれば、塗れるほど煌めきを増す“真珠”・・・と言った風で、自然の輝きを保ち続ける、豊かな心の娘ではなかったか・・・まさに、ジュリエッタ・マシーナの填り役。やや荒れたモノクロ画像をフルスクリーンで観れば、また新たなリアリティーが甦る。。。





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タルコフスキーの 「NOSTALGHIA ノスタルジア」・・・

 肌を刺す風に吹かれ、触れる自然界の息吹・・・アノ爽快感は忘れ難い。。。けれど、現状では如何ともし難く、全く外へ出なくなって3週間になる。どうこう言ってみても仕方なく、持て余す時間を映画漁りに当てることにした。映画の録画といえばVHSテープ全盛の頃に録画していたモノが150本ばかりあるけれど、今となっては再生するスベも無し、時々通販の広告で見る、膨大な過去の遺物・・・レコード、カセットテープ、ビデオテープなど、すべてCDに落とせる簡単なプレイヤーが3万迄で出ているけれど、今やYouTubeで探せばそれなりの画質で映画一本を観賞できる時代に入った。目まぐるしい変化は、要らないけれど、どんな映画でも探せばあり、無料で観賞できる・・・そんな時代なら、スグにでも来て欲しい。そんなことを想いながら、今日探し出した映画は、タルコフスキーの「ノスタルジア」・・・VHSでも2~3回観たけれど字幕スーパーは有り難いが、画質はイマイチ。日毎モーロクしていくノーミソから消えかかっているので探してみたらあった。PCのフルスクリーンで観てもVHSより画像は美しい。ただ日本語字幕入りのものはなかった。イタリア語やロシア語で喋っているようなので馴染みがない。質のイイ解説サイトやBLOGを探して参考にすればカバーは可能。今、イチバン観たかった映画、タルコフスキーの「ノスタルジア」を保存も兼ねてアップ、もう2回観てしまったけれど、何分にもコトバがチンプンカンプンストーリーらしきモノなど人生論的映画評論: ノスタルジア('83)アンドレイ・タルコフスキーより一部抜粋、転載させていただきました。

◆ノスタルジア( Movie Walker)
◆ノスタルジア('83)アンドレイ・タルコフスキー
「ロウソク渡りの儀式」という戦略
=(- 人生論・状況論への招待 -)=
◆NOSTALGHIA=(A・タルコフスキー)=

Nostalgia - Filme Legendado BR

        ===============================
 字幕付きのダイジェスト版が見つかり、これでかなり解るのではないかと思う。これらの画像は[・・・]をクリック、[×]にすることで煩わしく流れるコメントを消すコトが出来ます。





        ===============================

 
故国ロシアに戻れば奴隷になる覚悟で帰国した果てに自殺した悲劇の音楽家、サスノフスキーの足跡を追う、詩人アンドレイ・ゴルチャコフのイタリアでの旅が終焉しつつあったとき、女性通訳のエウジェニアを伴って、彼女が「絵のような教会」と呼ぶ信仰スポットの「出産の聖母」を見るために、トスカーナ地方にやって来た。

教会自体に何の関心も持たないゴルチャコフと、エウジェニアの微妙な確執が冒頭から映し出された。
「あなたには理解できない。なぜ教会に入らないの?」
この問いに答えないゴルチャコフは、「何を読んでる?」と相手に尋ね、女は「アルセーニー・タルコフコフスキーの詩」と答える。

「ロシア語?」とゴルチャコフ。 「いいえ、翻訳。名訳よ」とエウジェニア。
「捨てるんだ」
「なぜ?」
「詩は翻訳ではない。芸術は全てだ・・・お互いに理解不能だな」
「どうすれば、分り合える?」
「境界を失くすことだ」

こんな「理解不能」の二人の違いが、より明瞭になるのは、この村で「変人」呼ばわりされる男との出会いを通してだった。

男の名は、ドメニコ。
彼は「人類救済」のために、家族を7年間も自宅に閉じ込めていた曰くつきの人物。
ゴルチャコフはドメニコに異常な関心を示し、早速、彼に会いに行き、彼の浮世離れした言葉を聞くに至る。

「一滴プラス一滴は二滴ではなく、大きな一滴になる」

このドメニコの言葉は、ドメニコ自身と、彼が自分の「人類救済の儀式」を依頼するロシア人ゴルチャコフの人格が統合されたイメージの中で語られている。
ドメニコは、明らかにゴルチャコフの分身なのだ。
「大きな目的を持つべきだ。エゴイストだった。家族だけを救おうと・・・皆を救わないと。世界を・・・」

これが、7年間も自宅に家族を閉じ込めていた男が、ゴルチャコフに語った言葉。

「どうやって?」
そう尋ねるゴルチャコフに答えたのは、「ロウソクに火をつけたまま、聖カテリーナのヴィニョーニ温泉宿の傍の水を渡る」ことだった。

そして映像が映し出したのは、7年後、公的権力によって家族が解放されたとき、ドメニコが幼い我が子に、「パパ、これが世界の終わり?」と言われたシーン。

少年の視界に映った世界は、豊かな森の中をハイウェイが走る、素晴らしい色彩を持つ現代社会そのものの姿だった。
以上のドメニコの、「変人」的振舞いのエピソードを見る限り、そんな男に魅かれるゴルチャコフと、件の男を「変人」呼ばわりするエウジェニアの確執の心的風景は明瞭である。

ドメニコの分身と化したゴルチャコフと女性通訳の確執は、イメージの世界で生きる男と、現世の生身の世界で生きる女との違いであり、女にとって、文明社会を否定するドメニコに同化しつつあるロシアの著名な作家のイメージは、「偽善者」でしかなかったのだ。

その「偽善者」は、女に殴打され、鼻血を流して、床に零れ落ちた鮮血の赤を処理するのみ。

ゴルチャコフに生身の「性」を求めて退けられたエウジェニアが、ゴルチャコフの元から去って、映像後半で、ドメニコの演説を伝えることで再会した際、事業家と思える男と結婚した経緯が挿入されていたが、それこそ彼女の、「ごく普通の世俗性」を検証する生き方だったことが判然とする。

そして、女に殴打された男の「観念的人生」の選択肢は限定的であった。

異国の地での、彼の心象世界が捕捉し得る対象人格は、ドメニコのみとなっていく。

今や、ドメニコの分身と化したゴルチャコフには、「ロウソク渡りの儀式」のような戦略に身を預ける非合理の世界への自己投入しか残されていないのだ。

まさに彼の自我は、異郷の地で、深刻なアイデンティティの危機に直面しているのである。


人生論的映画評論: ノスタルジア('83)アンドレイ・タルコフスキーより一部抜粋、転載させていただきました



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「絆」という腐れ縁・・・東京家族

wx509px-Tokyo_monogatari_postertkykzk.jpgwx130123-152330-2013-01-23 001 001trtkykzk 今、チョット話題になっている映画「東京家族」を観る機会に恵まれた。山田洋次監督が、名匠・小津安二郎の「東京物語」(1953)にオマージュをささげた作品とも言われていて「東京物語」の舞台を現代に移し、老夫婦と子どもたちの姿を通して、夫婦や親子、家族の絆と喪失、老いや死についての問いかけを描いた作品になっているのだが、物理的な距離や会えない時間が、どれほど高い壁を作っていくか、家族をいかにして壊していくかが描かれている。家族だから、あるいは血がつながっているから解り合えるハズだという思い込みが、思いがけない結果につながることもあるという話は、今や、ナニも珍しいことではない。年老いることの幸せと不幸、どちらも含めて人生なのだ・・・恒例になっている“今年の漢字”に「絆(きづな)」が選定されたのは2011年・・・東日本大震災で未曽有の被害をうけ、他にも台風などの災害が発生。大規模な災害の経験から家族や仲間など身近な人々との絆を感じるコトになったというワケなのだが、絆=ハン、バン、きづな、つな(ぐ)本来は、犬・馬・鷹などの家畜を、通りがかりの立木につないでおくための綱。しがらみ、呪縛、束縛の意味に使われていた。「ほだし」、「ほだす」ともいうが、所変われば品変わるではないけれど、「絆」にはこんな解説もある・・・「中日大辞典」(大修館)には、「絆」(ban)は主に動詞として、次のように解説されている。(1)(足を)すくう、(わななどに)ひっかける(かかる)。(2)じゃま(妨げ)になる、まつわりつく。(3)きずな、拘束。(4)わな。・・・などとあり、“きずな”も無くはないけれど、日本語のニュアンスとしては「腐れ縁」が近いように思う。「絆」が人と人との結びつき、支え合いや助け合いを指すようになったのは、比較的最近のコトらしい。「東京家族」で流れていたショパンの「別れの曲」が美しく響く・・・。


東京物語 (日本語字幕)








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写真、山歩き。
マイルス・デビスやチャーリー・ミンガスもいいけれど
浅川マキのセンチメンタルジャーニーにシビれるジャズ好き。
近頃は吉田日出子の「リンゴの木の下で」を聴いては
ホロリと黄昏れている・・・
時々、照れ隠しに『淫蕩火』を名乗るエロ老人。



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