『愛の嵐』(原題:The Night Porter(英))1973年、イタリア映画。ウィーンのホテルでポーターとして働くマクシミリアンは、戦時中はナチス親衛隊の将校で、身分を隠して暮らしていた。ある日、客として有名な指揮者が訪れる。マクシミリアンはその妻ルチアに見覚えがあった。ルチアは13年前、マクシミリアンが強制収容所で弄んだユダヤ人の少女であった・・・・。リリアーナ・カヴァーニが描く、退廃した愛の物語・・・といったところがあらすじなのだが、この映画は見どころ、勘所も多く深い。なんと言っても、その倒錯した官能性を高めているのは、ナチスの時代、裸で踊らされていたホモのバレーダンサー・バート(アメディオ・アモディオ)の存在があり、マックスに恋するバートがマックス一人のために踊るシーンがあり、ナチス時代の過去と現在の踊りが交互に映し出され、年老いたダンサーの鍛え上げた肉体が美しくも哀しい。バートの尻に注射(何の注射か分からない)を打ったあと、マックスの手を空かさず握り、(この注射は肛門性交の代替え行為でもあるらしい)必ず、「あなたのは痛くない」と愛を告白するシーンがなんとも官能的で切ない。また、もう一つの見せ場は言うまでもない、ナチスの軍服を思わせる出で立ちで 元はマレーネ・ディートリッヒが歌っていた歌、「Wenn ich mir was wunschen durfte(何が望みかと聞かれたら)」を唄う断髪したシャーロット・ランプリングが、上半身裸で踊るシーン。あの折れそうでしなやかな肢体と美少年のような鋭い眼が醸し出すエロティシズム・・・これ以上、軍服らしい軍服はないとまで言われるナチス親衛隊の面々をバックにスローなリズムを刻むシャーロット・ランブリングの歌・・・♪もし幸せ過ぎたら 悲しい昔が恋しくなってしまうから・・・♪ この映画を観ているといろんなコトを想い、気づけば、コチラがエロティシズムの世界へ没入し、本能にも訴え掛ける究極の価値観がヴィヴィッドに迫ってくるのだった。もっと、おベンキョーしなくては・・・と思い知らされることがまだまだあり、もっと記しておきたいこともあるけれど、また、次回と言うことにして、後学のため、やや長めの「ダイジェスト版」をもう一編貼り付けて置くことにした。
◆シャーロット・ランプリング(Charlotte Rampling) のプロフィール - allcinema
◆オルフェオとエウリディーチェ=(わかる!オペラ情報館 -3分で読めるオペラのあらすじ)=
Charlotte Rampling The night porter
「Wenn Ich mir was wunshendurfte」
『何が望みかと聞かれたら』
私が愛するのは生きるため
そうでなければ楽しむためよ
たまに本気で愛することもあるわ
きっといいことがありそうな気がして
何が欲しいと聞かれれば
分からないと答えるだけ
いい時もあれば 悪い時もあるから
何が欲しいと聞かれたら
小さな幸せとでも言っておくわ
だってもし幸せすぎたら
悲しい昔が恋しくなってしまうから
何が欲しいと聞かれれば
分からないと答えるだけ
いい時もあれば 悪い時もあるから
何が欲しいと聞かれたら
小さな幸せとでも言っておくわ
だって もし幸せ過ぎたら
悲しい昔が恋しくなってしまうから
The Night Porter - Japan
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Liliana Cavani: El portero de noche【ダイジェスト版】

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