

撮影した植物やその花を調べていたら、古の
“やまとうた”との関わりを無視してやり過ごすには忍びない、植物や花が少なからずあるコトに思い当たる。万葉集をはじめ、
“やまとうた”などは全く無縁のものとして、学ぼうともせず現在に至る無知無学な老人が
「万葉仮名とは何ぞや」という
“万葉・序の口”に辿り着き、
「万葉仮名一覧」などに好奇の視線を送り始める今日この頃なのだった。
原文: 此雪之 消遺時尓 去来歸奈 山橘之 實光毛将見
この雪の消遺る時にいざ行かな 山橘の実の光るも見む
(万葉集:巻一九の四二二六・大伴家持)この雪の 消え残る(けのこる)ときに いざ行(ゆ)かむ 山橘の 実の照るも見む「この雪の消え残っている間に、さあ行こう。山橘の実の照り輝くのも見よう」
淡雪の消えぬ間に・・・と、里山の冬景色を撮りに出かけたらヤブコウジの赤い実がより鮮やかに映え、大友家持の歌そのままの景色が展開されていたけれど、ヤブコウジの赤い実を見ることに、コレほどの思い入れで、歌を詠む万葉人の自然と向き合う姿勢には、
並々ならぬ不思議を想わずには居れない冬日の里山なのだった。
↓オモロナイ
!写真がイマイチ
!・・
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