Aladdin's cock

日かげ いつか月かげとなり 木のかげ・・・山頭火       

「ニヒャクトーカ」・・・二百十日

チョウ 週末には台風12号が近畿地方に最接近しそうな気配・・・今日、9月1日は、「二百十日」[ニヒャクトーカ]・・・それに、二百二十日「ニヒャクハツカ」、この頃になると台風がやって来るというので、子どもの頃からの記憶として残っている。当時の台風は外国人女性の名前で呼ばれていて「ジェーン台風」という名前が何故か記憶に残っている。「二百十日」は「立春」から210日目、9月1日頃をいい、イネの開花期でもあり台風がよく来るので厄日とされているのだ。因みに、大正12年(1923)9月1日、京浜地域を中心に大被害を被った関東大震災の教訓を忘れないために、この日は「防災の日」となっている。

◆ジェーン台風(昭和毎日:(毎日新聞))
◆1953年06月04日
中央気象台が台風の呼び名を番号方式に変更した。
( | 1953-06-04 | Time-AZ)
◆二百十日・・・夏目漱石(夏目漱石・青空文庫)
◆ヒメウラナミジャノメ( [ 大阪市とその周辺の蝶 ] )









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諸行無常・・・な歌を聴く・・・

 つれづれに、諸行無常 色即是空 空即是色・・・と、ネタ切れの退屈をいいことに小難しそうなコトバを並べてはヒマ潰し。ビリー・ホリデイの諸行無常な歌“時の過ぎゆくままに(As Time Goes By)”YouTube 動画で覚えよう英語の歌より、ゆうこさんの訳詞を目で追いながら聴いていたら・・・諸行無常と何の違和感もなく素晴らしい!ビリー・ホリデイの 憂いを帯びたブルージィーな唱いっ振りに腐りかけたノーミソが震える・・・やはりシンプルがいい、意訳もいい。




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As Time Goes By            時が過ぎても  (訳詞: ゆうこ)

    This day and age we're living in         我々が生きているこの時代は
    Gives cause for apprehension          気になることでいっぱいだ
    With speed and new invention          スピードだとか 新発明だとか
    And things like fourth dimension.        4次元だとか何だとか

    Yet we get a trifle weary              だけど ちょっと疲れてしまう
    With Mr. Einstein's theory.             アインシュタインの理論には
    So we must get down to earth at times    だから 時には 地に足つけて
    Relax relieve the tension              肩の力を抜かなくちゃね

    And no matter what the progress         いくら時代が進歩したって 
    Or what may yet be proved             何が証明されたって
    The simple facts of life are such         人生の根本なんてものは
    They cannot be removed.              変わりようがないんだから

You must remember this              これを忘れちゃいけないよ
A kiss is just a kiss, a sigh is just a sigh.   キスはキス ため息は ため息
The fundamental things apply           根本的なことは いつだって同じさ
As time goes by.                    どんなに時代が変わっても

And when two lovers woo             恋人同士が ささやく言葉
They still say, "I love you."             「アイ・ラブ・ユー」 は変わらない
On that you can rely                 それは確かなことなんだ
No matter what the future brings         未来に何がもたらされ
As time goes by.                   どんなに時代が変わっても

Moonlight and love songs            月の光も 恋唄も
Never out of date.                  決して なくなることはない
Hearts full of passion               心はいつも情熱や
Jealousy and hate.                 嫉妬や憎しみに満ちている
Woman needs man                女は つれ添う男を求め
And man must have his mate          男は つれ添う女を求める 
That no one can deny.              それは誰にも否定できない 

It's still the same old story            大昔から変わらないのさ  
A fight for love and glory              愛と栄光を賭けた戦い
A case of do or die.                 やりとげるのか それとも死ぬのか
The world will always welcome lovers    世界は恋人たちの味方だよ
As time goes by.                   どんなに時代が変わっても

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水引の色・・・

キンミズヒキキンミズヒキ キンミズヒキ(バラ科 キンミズヒキ属)が咲いた・・・よく似た名前のミズヒキ タデ科 ミズヒキ属 もあり、バラ科とタデ科で種は違うけれど「水引」に見立てたところだけが共通項というワケなのだろう・・・アト数日で“立秋”。8月は“初盆”など仏事に関わる機会が多くなり“熨斗袋”のお世話になることも多くなるというもの・・・アノ熨斗袋に掛けられた「水引」について探りを入れてみた・・・ 「水引」とは、贈り物の包み紙や「熨斗袋」などにかける和紙で作られた紐で、色を付けた「こより」に糊水を引き、乾燥させて固めたものであり、慶事や仏事などに用いられる「熨斗袋」の「水引」に関しては、その用途によって「色の使い分け」がある。仏事には“黒白”の水引が掛かった熨斗袋が一般的に使われているけれど“黄白”の水引が掛かったモノというより印刷された熨斗袋もよく見かける。関西では、葬儀では黒と白の水引で、その後の香料・ご仏前には黄と白の水引・・・といった使い方が一般的になっているらしい。「黄色」は仏教の色。仏事にはオールマイティの色ということらしい。「黒白」の水引は関東地方では全般的に使われているが、以前は、関西(特に京都)では、葬式当日までも「黄白」の水引を使っていたらしい。京都の「黄白」についてこんな記述があった。

京都では仏事に黒白の水引は使ひません
必ず 黄白の水引 を使ひます
京の人にとって御所は生活の上でも密着しており
この紅白の水引と間違い易い黒白を避けました
御所さんに申し訳ないからです


この記述を読んでいて、どうしても納得がいかないのは「黒白」と間違い易い「紅白」とは・・・「黒」によく似た「」とはどんな染料でどんな「色」に染め上げられていたのか・・・現在でも見られるものなら見てみたい。水引の色は、この他に左右全部が銀色の「双銀の水引」というものがあり、京都では、葬式の香典にも『黄白の水引』を用いるらしい。そのワケは、皇室で使う『紅白の水引』の「」が黒に近い色をしているため、京都では『黒白の水引』は使わないということらしい。

















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たけなわな春の遊び・・・

100402rowa0040_RJ.jpg100402rowa0045_RJ.jpg 4月1日、「四月馬鹿(エイプリル-フール【April fool】)」はまだ生きていた。とっくの昔に死語になっているモノとばかり思っていたけれど、まだ生き続けて健在であるらしい。“四月バカ”という言い回しが果たして適当なのかどうか知らないけれど、わたし個人的には“四月の担ぎ話”と言った程度に解釈しているのだが・・・。いまや聞き飽きるほど露呈した数々の『偽装』問題、文字通り「偽りだらけ」の中で“担ぎ話”によるシャレが果たしてどの程度に有効なのか・・・とにかくホンモノの「ウソ」が多すぎるご時世に「ウソのウソ(ほんとう?)」が大まじめに飛び込んできたのだった。100402rowa0004_RJ.jpg100402rowa0023_RJ.jpg「アンタの足にコレを履かせてみよう・・・」と、予てより狙っていたLOWA重登山靴をオークションで落札したので「アンタの撮影した写真とバーター取引きしょう・・・」という話なのだった。泣けるような話についホロリ・・・促されるままに、恐る恐る足を入れてみたけれど鋼鉄の壁に弾き返された。この冷たさは心を惹き、火をつける・・・ヒモをほどき、前から、後ろから、オイルを塗り込み磨きをかける。見事に裁断された厚い皮やミシンの縫い目、汗にまみれた職人の手のアトをなぞりながらまたホロリ。見れば見るほど履き物であることを忘れ“芸術作品”の鑑賞に浸り込んでしまうのだった。日を追うほどに、こんな重登山靴を履いて歩く山からは遠ざかっているというのに・・・重量は2.6kg(1.3×2)現在、履いているものが1.8kgだからかなり重く、シャンクも施されているというのだった。IMG_9181.jpg重登山靴で里山を歩くという不思議な光景をイメイジしていたらもう一人の山友から2mのオシャレな靴紐をプレゼントされた。早速締めて記念撮影したけれど、この靴を自分の足に馴染ませるにはそれ相応の時間も掛かり、また、この靴からは「山を歩く」ということを、少なからず教えられそうな気配もあり、楽しみでもある。現在もアイゼンで締め上げたあとの折れ目を補正すべく、要所に固形物をあてがい“ミンクオイル”を塗り込み縛り上げている・・・たけなわな春の午後なのだった・・・。








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春たけなわ・・・

ミヤマカタバミカタバミミヤマカタバミ カタバミ科 カタバミ属
 温かすぎると思ったら真冬のような寒さが戻り、咲いてしまうのかと思った花も開く寸前のツボミ状態で一服・・・四月に入り、タイミングを見計らっていたかのように、週末から日曜日には見事に「サイタ サイタ サクラガサイタ・・・」あちらでもコチラでも花見を兼ねた盛り沢山な行事に沸き返っているようで・・・多分こんな状況のことを「春たけなわ・・・」 というのだろうと、漠然と思い込んでいたので念のために調べてみた。ところで、「タケナワ」と漢字ではどう書くのだろう「竹縄」なのか、それとも威縄?・・・猛菜は?などと「誤変換の妙」に期待を掛けてみたりしたが「酣タケナワ」とか「闌タケナワ」と表記するらしいことは解った。カタバミ「たけなわ」という言葉の意味も、広辞苑によれば・・・ ①物事の一番の盛り。真っ最中。②少し盛りを過ぎたさま。・・・とあり、「秋もたけなわの頃」「宴(えん)たけなわ」といった用例があったけれど、上り詰めた状態、つまり、盛りを過ぎてやや衰えかけた時。「もう下り坂しかない状態」を表しているのだった。 「齢(よわい)既に たけなわ」などと言った具合なのだ・・・ が、今回のエントリー記事のタイトル「春たけなわ・・・」といった表現はあるのか?無いのか?解らぬまま取り敢えず「春たけなわ・・・」なのだった。








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椿散り敷くみち たどれば遊女伝説・・・

100325mrts0069_RJ_20100328110938.jpg 雨の室津を歩いた。今までに幾度となく訪ねているけれど、良いのか悪いのか来る度に街並みがキレイになっていく・・・迷路のような路地を巡るスリリングな楽しみはどんどん薄れていくようにも思える。狭い曲がりくねった坂を上がったら、紅い椿の花を撒き散らしたような路地の先に「遊女友君の塚」と彫り込まれた墓石がひとつ、ひっそりと佇み、その後ろには播磨灘が開ける。遊女伝説のビューポイント「浄運寺」なのだった。室津の歴史に関する興味深い話も色々あるけれど西鶴や谷崎潤一郎作品に登場する「遊女」に拘ってみたら大変な深みにはまり込んでしまった。友君の塚浄運寺鐘楼門






建永二年(1207)、法然上人が、七十四歳で讃岐へ流されるとき、室津の港で一人の遊女に出会った。
 遊女は、友君と言い、かつては山吹の名で木曽義仲の寵愛をうけ、流浪の果てに、その罪深き身を嘆いて救いを求めてきた。
 法然は女を哀れんで念仏の功徳を説き、歌を書いて与えた。

  ○仮そめの色のゆかりの恋にだに、あふには身をも惜しみやはする  法然

 感激する友君の求めに応じて、自身で刻んだ頭像を与へ、法然は港を出ていった。
 友君はこの頭像に胴体をつけようと、粘土をこね、月日をかけて何度もつくり直して法然上人の像を完成させた。

この像は、ここ浄運寺にあった。

いかに清潔な現代社会に生きるエロボケ爺とはいえども・・・遊女(ゆうじょ、あそびめ)とは、遊郭や宿場で男性に性的サービスをした売春婦で、「客を遊ばせる女」と言う意味が一般的である・・・ことくらいは知っている。


遊行女婦(うかれめ)遊女(あそび)傀儡女(くぐつめ)白拍子(しらびょうし)傾城(けいせい)上臈(じょうろう)女郎(じょろう)、遊君(ゆうくん)、娼妓(しょうぎ)太夫は最高位の遊女で、江戸 吉原遊郭では一時期これを特に花魁(おいらん)といった。

湯屋で働く湯女(ゆな)や、旅籠で働く飯盛女(めしもりおんな)はより大衆的な売春婦であった。そのほかにも街頭で色香を売る京都の辻君(つじぎみ)や大坂の惣嫁(そうか)、江戸の夜鷹(よたか)もいた。

遊芸の付属物として性行為を行い、そして、性行為自体の技を遊芸の域に高め、その専門家集団としての遊女が確立していく。
吉原遊女が死亡すると、俗に「投込寺」と呼ばれる共同墓地に埋葬され、ここは無縁仏を葬る場所で、三ノ輪の浄閑寺が有名で、浄閑寺には現存するだけで数千人に及ぶ遊女の記録が残っており、それを辿ってみると死亡時の平均年齢は二十二歳前後となっている。遊女の年季明けは二十八歳だが、それ以前に死亡する者も多かったことが記録の上からも窺えるという。

遊女は売色家業ですので「操を立てる」ことは出来ません。遊女は何とかして、恋い慕う相手に自分の愛を証明する必要がありました。気持ちを証明しようとするこの方法は、総じて『心中立て』と呼ばれている。

現代で心中といえば愛し合う二人一緒に死ぬ情死しかありませんが、昔は色々な方法があり、具体的に挙げてみると、軽いものから順に「誓詞」「誓紙」「髪切り」「入れ墨」「爪剥ぎ」「指きり」「情死」がある。

「誓詞」は口約束で、「誓紙」は誓約書です。初期の頃はお客もこれで満足していたようですが、やはり時代が下がるにつれて誓約書に血判を押すようになったり、女性の命とも言われた髪を切る(「髪切り」)ことなどが要求されるようになっていきます。

これでも足りない場合は肌に相手の名前を入れ墨しあったり、爪を剥いで相手に誓いを立てるといった 少々のちの商売に差し支えそうな行動をとる方法も考え出されました。しかしながら、他人の爪を買い取って荒稼ぎする知能犯的遊女も現れ、指を切って落とす所まで至ります。

けれどもやっぱり指も偽造されました。死刑になった罪人の指を流用したり、シンコと呼ばれる粳米の粉を練って彩色し トビの羽を加工した爪を付けて偽の指を作ったり、様々な方法が用いられています。

究極の心中立ては、情死です。現代では心中というと情死を意味しますが、これは最後の最後 切羽詰った方法でした。

ここで、近松門左衛門作“情死モノ”の真髄に触れ、再確認したくなり、何かイイものはないかと探してみたら映画版『心中天網島』(しんじゅう てんの あみしま)(予告編)があった。

【予告篇】心中天網島

「心中天網島」
制作:1969年
時間:103分
監督:篠田正浩
製作:中島正幸、篠田正浩
脚色:富岡多恵子、武満徹、篠田正浩
原作:近松門左衛門
撮影:成島東一郎
美術:栗津潔
音楽:武満徹
録音:西崎英雄

出演:
岩下志麻(治兵衛の妻おさん/遊女小春)
中村吉右衛門(紙屋治兵衛)
小松方正(太兵衛)
滝田裕介(孫右衛門)
藤原釜足(大和屋の主人)
加藤嘉(五三衛門)
河原崎しづ江(おさんの母)
左時枝(下女お杉)
日高澄子(河庄の女将)
浜村純(黒衣頭)
土屋晋次(堪太郎)
戸沢香織(お末)

大阪天満御前町の紙屋治兵衛は、女房子供のある身で、曽根崎新地紀伊国屋お抱えの遊女小春と深く馴染み、情死のおそれもあった。これを案じた治兵衛の兄粉屋の孫右衛門は、武士姿に仮装し、河庄に小春を呼び出した。孫右衛門は、小春に治兵衛と別れるようさとし、その本心を問いただした。小春は治兵衛と死ぬ積りはないと言った。折から、この里を訪れていた治兵衛は二人の話を立聞きし、狂ったように脇差で斬りこんだ。だが、孫右衛門に制せられ、両手を格子に縛られてしまった。そこへ恋敵の太兵衛が通りかかり、さんざん罵り辱しめた。これを聞きつけた孫右衛門は、表に飛びだし太兵衛を懲しめ、治兵衛には仮装を解いて誡めた。治兵衛は目が覚めた思いだった。そして小春からの起請文を投げかえして帰った。数日後、治兵衛は太兵衛が小春を身請けするとの噂を聞いた。悔し涙にくれる治兵衛。これを見た妻のおさんは、始めて小春の心変りは自分が手紙で頼んでやったことと打明けた。そして、小春の自害をおそれ、夫をせきたてて身請けの金を用意させようとした。おさんの父五左衛門が娘を離別させたのはそんな折だった。それから間もなく、治兵衛は小春と網島の大長寺で心中した。










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枯れ草に添い寝する・・・

ホトケノザナナホシテントウ 毎日が退屈凌ぎのような日々を送っているボケ老人にも、ポッカリと穴の空いたような時間にはまり込むことがある・・・それは退屈とは次元が違うエアポケットのような時空なのだった・・・あてもなくフラフラと歩くあぜ道で座り込んだり、腹這いになってみたり・・・目の前の光景に悶え戯れる。ホトケノザ、ナナホシテントウ、オオイヌノフグリ、ナズナ・・・どれも目新しさや華やかさと言ったこととは対極にあり、いつでもどこでも見ることができるモノばかりではあるけれど、それらが、この日のボケ老人には、殊更に新鮮で美しかった。夢遊病がどんなモノなのかは知るスベもないけれど、もしかしてこんな状況を言うのだとしたら、妙な感覚ではあるけれど心地よい時空であるに違いない・・・。ナズナオオイヌノフグリ 近くの三草山へは頻繁に来ているのに、年末以来ご無沙汰続きの友人(自動車屋社長)宅を訪ねた。親交を重ねて数十年・・・互いに歳はとったけれど、彼はエロボケ爺よりは一世代若いし、本来がパワフルで頭の回転が効く人。突然立ち寄っては連発する何の役にも立たぬ屁理屈にも、快くお付き合いいただきコーヒーまでご馳走になってしまうのはいつものコトなのだけれど、彼と交わす雑談は、屁理屈が屁理屈でなくなるという不思議な磁場を共有することとなり、社長の多忙をも顧みず、ついつい長居してしまうのだった。この日は上弦の月から始まって、社長の持ち出した新聞の切り抜き記事をネタに、ズレる二十四節気・・・現代若者の知識としての情報から「智慧と知識」へとハイラベルな議論はとどまるところを知らずエスカレート・・・見捨てた職人や農地を、いつ、どうやって誰が取り戻すのか・・・!?目先が真っ暗!・・・になったところで、陽が傾き始めたので長居を侘び家路につく“枯れ草に添い寝・・・”の日なのだった。

◆【日本よ】石原慎太郎 「正確な二十四節気を」( - MSN産経ニュース)

◆1371.秋の月 野に咲く花はどこへ行く(あしアト do_On!)の歌はコレではなかったか・・・と、貼り付けてみました。


ジョーン・バエズなども歌っていて、よく知られている“反戦歌”動画で憶えよう英語の歌にもいろんな歌い手がアップされているので興味ある向きはどうぞ・・・マレーネ・ディートリッヒ もイイ味出している。


YouTube 動画で覚えよう英語の歌











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踊り子草・・・

100220akho0019_RJ.jpg100220akho0027_RJ.jpg オドリコソウが咲いていた。花期は3~7月とかなりバラツキがあるようだが、2月の終わりに咲いているということは早い。花の色も白、薄桃色と紅紫色があるがすべてが混ざり合って咲くことはあまりなく、どれか一方が多く見られる地域・・・花の色に地域性があると言われている。“踊り子”といえば即座に連想してしまうのが川端康成の「伊豆の踊子」ではあるけれど、もう少し新鮮な“踊り子伝説”はないものかと探してみたが、どれもイマイチ新鮮味に欠ける。退屈しのぎに「踊り子」、「ダンサー」などと検索窓に打ち込んでみたけれど大して新鮮味もないので「東寺」とそれぞれに絞り込み検索を掛けてみたら出るわ出るわ“DX東寺と踊り子さん”・・・イマなお健在らしい・・・かといってリンクを張ってみても、ご清潔で思いやりの厚いニッポンへと変貌を遂げた?現在の社会を思えばヒンシュクを買うのは眼に見えているのでヤメにした。それよりも、懐かしくて健全な1957年(S.32)、大阪朝日放送の「呉羽ホームソング」で三浦洸一さんが歌って広まった曲、川端康成さんの小説「踊子」をモチーフにした詞を転載させて貰うことにした。この歌なら知っている方も多いはず・・・。

「踊子」

さよならも言えず 泣いている
私の踊り子よ ああ船が出る

天城峠で 会(オ)うた日は
絵のように あでやかな
袖が雨に 濡れていた
赤い袖に 白い雨

アー アー アー アー  (女声コーラス)
アー アー アー アー

月のきれいな 伊豆の宿
紅色の ともし灯に
かざす扇 舞い姿
細い指の 懐かしさ

さよならも言えず 泣いている
私の踊り子よ ああ船が出る

下田街道 海を見て
目を上げた 前髪の
ちさな櫛も 忘られぬ
伊豆の旅よ さようなら










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海の景色・・・

100220akho0001c_RJ.jpg100220akho0101_RJ.jpg 温かいコーヒーを飲みながら見る海はもう春、ジェルソミーナな海だった。打ち寄せられたヒトデを裏も表もジックリと眺めたのも初めてなら・・・風はまだ少し冷たいけれど、静かな心温まるひとときなのだった。

「煌めいて 心ほのぼの 春の海・・・淫蕩火」

ヒトデは「海星」と書き、5本の腕を持った星形の動物です。下側に口があり、いろいろな動物をおそって餌にします。 二枚貝をつかまえると、貝殻をこじ開けようとします。五本の腕で二枚貝を包み、力を込めて、無理やり開かせます。もちろん貝は抵抗します。けれども、ヒトデの腕に包まれてしまったら、ほぼ助かる見込みはありません。
 殻をこじ開けると、ヒトデは中身を食べ始めます。びっくりするのはその食べ方です。彼らの口は、体の裏側、星型の真ん中にあります。その口から、なんと胃袋が吐き出されます。胃袋を食べ物の上にかぶせ、その場で消化を始めます。
 普通は、口から胃へと食べ物が送られますよね。体内の胃で消化するのが常識です。ヒトデは、胃のほうを体外に出して消化します。全く常識外れですね。ヒトデは丈夫な生き物なので、駆除が難しいです。腕を一本ずつにちぎっても、一本一本が再生して、元の五本腕のヒトデになります。すごい再生能力ですよね。
- zukan.net -

きらきらと寄せては返す渚のシンドバッド!?・・・否、ゆったりと、浜辺に打ち寄せる白い波頭を見ていたら、イタリア映画、「道」のファーストシーンが甦った・・・浜辺で拾い集めた棒を背負うジェルソミーナの後ろ姿・・・「ジェルソミーナ!ジェルソミーナ!」と叫びながら駈け寄ってくる弟妹たち、「・・・オート三輪車に乗った人が来てる、ローザが死んだんだって!」・・・話が前後するけれど02/21(SUN)のBlog記事を「道」にすることはココで決めたのだった。白い波が打ち寄せる浜辺、それにジェルソミーナの後ろ姿のロングショットが印象深く焼きついているのだった・・・。我がビデオコレクションにあるはずの「道」が行方不明では全編鑑賞もままならず、You Tubeでダイジェスト版を探してみたら浜辺のショットが際立つファーストシーン、ラストシーンは言うまでもなく、「タキギが足りない、火が消える・・・」とジェルソミーナが重みのあるセリフを吐きながら横たわるシーンなど短いけれど要所を押さえたモノがあったので未練たらしく“ジェルソミーナ”をもう一度の”午後の紅茶”なのだった。









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上弦の月・・・

100217jgnmon0011_RJ.jpg まだ明るさの残る夕方、傷みの目立つ我が家の屋根を見上げながら、葺き替えるほどのカネも無し・・・と、眼をやったその先に“上弦の月”が美しい。

この月が いま見るこの月か 上弦の月・・・淫蕩火

ところで“上弦の月”“下弦の月”の定義づけは【月を弓に見立てたとき、弦が上を向いているか下を向いているか・・・】ではなく、弓に見立てたときの“弦”が上を向いているか下を向いているかで両者を分けられるのは月が沈む時間だけで、

ちなみに,上弦の月は昼間に出て夕方に正中し,深夜に沈みます.下弦の月は深夜に出て明け方に正中し,昼間に沈みます 。つまり「上弦の月」「下弦の月」の上下とは「弓に見立てたときの弦が上を向いているか下を向いているか」ではなく「上に見える弦」なのか「下に見える弦」なのかという時期を表す上下であり,弦というのは半月そのものを表しているのです。
上弦の月,下弦の月

▼正確には、今月(2月)22日が上弦の月・・・。

・・・ということであるらしい。








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春風に タラ ララ・・・♪

 大阪辺りは雪がちらついているという・・・立春も過ぎ、明るくなった陽射しに感触は春。暇つぶしに「Music Album」で懐かしい曲を聴いていたら、映画“ドクトル・ジバゴ”の「ララのテーマ」と“風と共に去りぬ”の「タラのテーマ」という超有名な映画主題曲があったので、哀しくも美しいラブロマンをエロボケ爺の薄れゆく記憶に、もう一度たぐり寄せてみようというのだった。“ドクトル・ジバゴ”の「ララ」・・・ラーラとも言うらしくてどっちが正しいのか知らないけれど、多分どちらも正しいのだと思う・・・とは、映画の女主人公の愛称で、不倫を知りつつ、ララが身も心も捧げ尽くす相手は、ジバゴ医師。 二人は、第一次世界大戦下のウクライナで、医師と看護婦として出会い、互いに忘れられない存在になる・・・やがて別れの時が来て、ララはトラックの荷台に乗り、去って行く。その後姿を黙って見送る詩人ジバゴ・・・ここで、「ララのテーマ」が静かに流れ・・・忘れ難いシーンの展開となるのだけれど、もう一方の“風と共に去りぬ”の 「タラのテーマ」の「 タラ 」 とは何のことなのか・・・よく分からず、コレを探ってみるのが今日のテーマといえば大袈裟なのだが、少し探ってみた。「タラ」とは、ダブリン(アイルランド共和国の最大都市であり首都)の郊外にあるタラの丘のことで、アイルランド系の人達の聖地であり、心の故郷でもあるというのだった。スカーレットの心の中にアイリッシュの血が流れていて、その丘が心の支えになっているという事であるらしい。
激動の南北戦争と、それに翻弄されながらも生き抜くスカーレット、壮大なロマンが展開され、 "Tommorow is another day." 「明日は明日の風が吹く」の言葉で物語が終わるのがまたニクイ!ヴィヴィアン・リーの美しいのは言うまでもないけれど、ガキの頃はクラーク・ゲイブルと聞けば、なぜか「ロビンフッドの冒険」エロール・フリンのスケベヒゲを連想してしまったけれど、いま写真をみれば、かなり格が違うようで、やはりクラーク・ゲイブルは渋い。

◆画像“タラの丘”
◆ローレンス・オリビエ

"Gone with the Wind", Clark Gable and Vivien Leigh













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京都・愛宕山の噺・・・

 「鞍馬山の天狗さん、みくさの山の月を観に来てくださいよ、美しいですよ・・・逢いたくて・・・恋しくて・・・」 と三草山の妖女“秋の月”に誘われ「三草山のアンタに逢いたいのは山々なれど雪を被った愛宕山(標高924m)が邪魔してなぁ・・・思うようにいかんのや・・・」「アンタは鞍馬天狗やろ!ウマを走らせたら簡単に来れるンちゃうん!?」といったような優雅なやりとりに出てくる京都の「愛宕山」の噺が上方落語にあり、関西の落語家では桂米朝がやっているらしいのだけれど、あいにくYou Tubeには東京の落語家、古今亭志ん朝と文楽 のものしかなかった。上方物を江戸でやる、江戸物を上方でやる、可笑しい物は可笑しい ハズ・・・音源に画像を被せたモノで少し古いが“文楽”のものを貼ることにした。


文楽 愛宕山(音源)


文楽 愛宕山(音源)2









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夢の中へ・・・

 きょうは私の天使が“天使のはね”をとりにやってくる

   ヴィヴィッドピンクの翅をとりにやってくる

 ビンボー老人でも金持ち気分にさせてくれる私のエンジェル・・・



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赤い実を食べた・・・

100112ysr0066_RJ_20100121094044.jpg100112ysr0071_RJ_20100121094114.jpg 冬木立の中を歩いていたら赤い実に出くわす・・・必ずと言っていいほど。サルトリイバラ、ソヨゴ、ヤブコウジ、ヒヨドリジョウゴなど・・・アズキナシの実も落ちている。空飛ぶ鳥に見つけてもらうために赤い実をつけているのだという話はよく耳にするけれど、一方では“夜盲症”のことを“とりめ”などといって鳥の目をバカにしているフシもある。実際にはどうなのか・・・鳥の目は、人間よりも遥かに優れていて、水晶体の他に角膜も形を変形させることもできるのだという。人間は、自分たちの視覚システムが進化の頂点にあると思い込んでいるらしい。「オレは人間様だ!」というアノ思い上がりによって、未だに錯覚から抜けきれずにいることも多いようで、自分の感覚世界にとらわれるあまり、己の想像能力を超えた視覚世界を思い描くことができずにいるらしいのだ。鳥は普段、広い範囲を一度に見渡しているらしいが、餌などを発見すると、一瞬で望遠レンズに切りかえが利く凄い機能もあるといわれている。また、左右別々にモノを見ることができ、真後ろと足元以外の、ほぼ全周囲が見渡せるという。色も、人間の網膜細胞は赤・緑・青の3色に反応するが、鳥の眼は赤・緑・青・紫外線の4色を見ることができるのだという。鳥に見つけてもらうために赤い実をつけるという植物の戦略も少しは解ったような気にはなるけれど、同じ赤い実にも甘くて美味いモノもあれば、有毒で生物を寄せつけないモノもあるのはどういうワケなのか・・・コチラ(人間)の想像能力の貧困さを思うとき、思わず「神はある・・・」と、つぶやいてしまう今日このごろなのだった。 食べた実の色でカラダの色が決まるという北原白秋のウタがある。このウタもDNAレベルのコダワリが出てきそうなウタではあるけれど「責任者出てこい!」と叫び続けた人生幸朗さんも他界して久しく、もう、神の域に近づいているのかも知れんなぁ。。。「責任者出てこい!」「出てきたらどないすンのン」「謝ったらしまいや!」・・・

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「赤い鳥小鳥」
北原白秋作詞・成田為三作曲

赤い鳥 小鳥
なぜなぜ赤い
赤い実を食べた

白い鳥 小鳥
なぜなぜ白い
白い実を食べた

青い鳥 小鳥
なぜなぜ青い
青い実を食べた










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あなた・・・山が燃える・・・というウタがある

01/07(THU) きょうは七草粥、正確には「人日(じんじつ)の節句、七草(七草がゆの日)」というらしい。お粥はあまり好きではないので雑煮・・・白味噌に丸餅+七草+思いやりネギ・・・を喰った。鰹だしの味噌汁とシャキシャキしたネギが美味かった・・・ため息が出る。。。

「天城越え」というエロな歌がある・・・このウタの歌詞を読んでいたらエロボケ爺の顔が熱くなった。「エロティシズム」などという生やさしいものではないように思えてくるのだった。紳士淑女のみなさま方は如何ですかな?「あなた・・・山が燃える!」なんて・・・あ、「」はついてなかったか・・・この歌は。唱っている石川さゆりの姿をヘタに観てしまうと妙に生々しくて「グロ」に突入してしまうので、敢えて「早乙女太一」の美しいイメージを被せて聴くことにした。石川さゆりファンには叱られそうやけれど石川さゆりが唱うシーンと聴き比べてみれば確認できるはず・・・ご大層に言わねばならぬほどのことでもないのだけれど、こんなコトをフッと考えてしまうエロボケ爺のきょうこの頃ではありますが、皆さまにはお変わりはありませんか・・・? お互いに、今年も良い年でありますように・・・「年頭エロボケ談義」ということで。。。





天城越え 作曲:弦哲也 作詞:吉岡 治


 隠しきれない 移り香が
 いつしかあなたに 浸みついた
 誰かに盗られる くらいなら
 あなたを殺していいですか

 寝乱れて 隠れ宿
 九十九折り 浄蓮の滝
 舞い上がり 揺れ堕ちる肩のむこうに
 あなた・・・山が燃える

 何があっても もういいの
 くらくら燃える 火をくぐり
 あなたと越えたい 天城越え

 口を開けば 別れると
 刺さったまんまの 割れ硝子
 ふたりで居たって 寒いけど
 嘘でも抱かれりゃ あたたかい

 わさび沢 隠れ径
 小夜時雨 寒天橋
 恨んでも 恨んでも 躯うらはら
 あなた・・・山が燃える

 戻れなくても もういいの
 くらくら燃える 地を這って
 あなたと越えたい 天城越え

 走り水 迷い恋
 風の群れ 天城隧道
 恨んでも 恨んでも 躯うらはら
 あなた・・・山が燃える

 戻れなくても もういいの
 くらくら燃える 地を這って
 あなたと越えたい 天城越え








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Tokira

Author:Tokira
写真、山歩き。
マイルス・デビスやチャーリー・ミンガスもいいけれど
浅川マキのセンチメンタルジャーニーにシビれるジャズ好き。
近頃は吉田日出子の「リンゴの木の下で」を聴いては
ホロリと黄昏れている・・・
時々、照れ隠しに『淫蕩火』を名乗るエロ老人。

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