
ヤマモモ (ヤマモモ科 ヤマモモ属)
植物生態研究室(波田研) 久しぶりに三草山を歩いた。常連さんに合えば立ち止まり、雑談を繰り返しながらゆっくり登っていたら、やはり常連のお嬢さんが
「食べ頃のヤマモモがありますよ・・・」と、そんなに大きくもないヤマモモの木のあるところへ案内してくれた。「ヤマモモ」と聞けば即座に「兵隊さん」を思い浮かべてしまうほど「山桃と兵隊」は、モーロクしかかったノーミソにこびりついている数少ない記憶のひとつなのだった。“数少ない記憶”といっても、終戦を間近に控えた頃の国民学校低学年の子どもの記憶であり、断片的で
“あやふやな記憶”といった方が正しいのかも知れない・・・当時、どういうワケでそんなことになったのか田舎のガキが知るわけもないけれど、兵隊20〜30名が田舎の公会堂に数日間滞在していったことがあり、旧日本陸軍兵士・・・兵隊の日常生活の一部を直に見たのはアトにも先にもこのとき一回きりなのだった。

公会堂の玄関脇にいつも立てかけてある樫の棒、一部分樹皮を削り取ったアトに墨痕鮮やかな
“軍人精神注入棒”の文字・・・この棒が現実に使用される場面や二列横隊の前列を“回れ右!”の号令で対面させたかと思ったら、号令一下、一方の列の兵隊が向き合った相手の顔に強烈な往復ビンタ、次は攻守入れ替わり、またまた往復ビンタ・・・何があったか知らないけれど、どうも連帯責任をとらされているような場面ではなかったかと思う・・・といった生々しいしごき場面を目撃したのも一度や二度ではなかったけれど、兵隊さんたちが寛いでいるスキにチョット畳の上に足を踏み入れたら、飛び上がり這い登ってくる蚤ノミ集団のくすぐったい感触も忘れられない記憶のひとつなのだった。こんな中で生活する兵士も夜は辺りの民家に分散、もらい風呂で入浴、暫し、くつろぎの時間をそれぞれに楽しんでいたのではないかと想像する。そんなことで親しくなった「兵隊さん」と遊んだ記憶のひとつが
“ヤマモモ採り”なのだった。なにぶんにも、この時代に食べることができるものを採りに行くということは、オトナにも子どもにも最高の楽しみであったように思う。どうってことのない木の実は・・・キラキラ煌めく宝石のようでもあり、粒の粗い砂糖をまぶしたドロップのようでもある?などとは現在イマだからこそ言えることで当時のガキどもがそんな高級なものを知っているワケもないが・・・少し甘味があるというだけで、かなりの価値があったのではないかと想像する。
ズルチンや
サッカリンという甘味料?が登場するのはもう少しアトだったように記憶しているけれど、
「山桃と兵隊」は幼いノーミソに張り付いてしまった
“甘味の記憶”なのかも知れない。
◆新兵の一日(
わが青春の追憶)
戦後すぐ、砂糖は貴重品だった。戦時中から台湾や南洋などからの輸入ルートが途絶えていたからだ。そのため、ズルチンやサッカリンという人工甘味料が食品添加物として使われた。しかし日本が復興し、精糖工場の再建が進むにつれて人工甘味料時代は去り、昭和26年をピークに29年まで人工甘味料の需要は下り坂だった。しかしスエズ動乱で砂糖が値上がりしたために、また、安価な人工甘味料は脚光を浴びた。製品の8割が砂糖だという製菓業界においては砂糖の価格の高低は死活問題である。砂糖が値上がりしたからといって、市場競争が激しいなかで自社だけ値上げすることはできない。そのため、味は少し落ちてもコストを考え、人工甘味料に転換するのだ。なにしろ甘さも砂糖の300倍〜1000倍はある。チクロの甘味は砂糖の40倍くらいで人工甘味料のなかでも値段が高いが、後味がさっぱりとしていて砂糖に味が近いため菓子や清涼飲料に多用された。ズルチンなどは後味が残るのだ。
(「チクロは旨かった」日曜研究チャンネル)
↓オモロナイ
!写真がイマイチ
!・・
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